385 名前: Double/stay night ◆SCJtHti/Fs 投稿日: 2006/09/10(日) 20:37:30

弐 桜のところにお邪魔しよう。

 鳴り響くサイレンに囲まれて、教会は紅蓮の炎に包まれていた。舞い上がる火の粉が風をくすぐる。見上げるそれはある種壮観な光景で、ギルガメッシュはどことなく郷愁に似た気持ちに襲われた。

 言峰綺礼は面白い男だった。人としてはどうしようもなく壊れていたが、あれはあれで見ていて飽きなかった。なぜか共にいて不快にならなかったし、無断で話し掛けられても許せてしまった。だから、これまで彼の戯れにもつきあってやっていたのだったが。

 しかし、それもまた終わりだった。本人が死んでまで従い続ける義理はない。ギルガメッシュは薄く笑い、己が意志のまま動く事を決めた。彼の方針は決まっている。王の中の王たるもの、赴くままに食らい、犯すだけだ。ギルガメッシュの脳裏に、黄金の髪の剣士が浮かんだ。あの女に、今度こそ至高の王に抱かれる歓びを教えてやるのも慈悲だろう。

 そうと決まれば長居は無用である。ゴミのような野次馬共を威厳を持ってかき分けて、ギルガメッシュは街へと消えていく。途中、一度だけ振り向いた。言峰綺礼、あの男の名前を、もう少しだけ憶えていてやってもいいと思ったのだ。



 汗ばんだ体をシャワーで流し、桜は罪悪感に襲われていた。自慰に使ったぬいぐるみの耳は酷い有り様で、染み付いた匂いは落とすのに苦労しそうである。そしてそれ以上に、こびり付いた妄執こそが桜の胸に突き刺さるのだった。

 浴室からあがり身だしなみを整え、桜は居間へと急いでいく。今は少しでも早く、士郎の声が聞きたかった。彼の隣にいたかった。そうすれば少しは、心も安定してくれると思ったのだ。

 しかしそこには、桜が予想だにしなかった光景が広がっていた。

 見知らぬ少女が士郎の隣に座り楽しそうに談笑し、ルヴィアゼリッタがそれを羨ましそうに眺めている。セイバーは大判焼を嬉しそうに頬張りながらその場の空気に溶け込んでいるし、ライダーさえそんな彼女達を暖かく見守っているではないか。

 そして何より士郎である。彼は出会ったばかりのはずの女性達に囲まれて、実に自然にくつろいでいる。それは桜の知らない世界だった。彼女抜きでも、この家はこんなに幸福に回っていくのか。

「……せんぱい」

 渦巻く不安をかき消そうと、桜は士郎に話し掛けた。振り向いた彼の顔はとてもきれいで、どす黒い自分には眩しすぎて痛い。それでも、士郎に笑いかけてほしかったけれど。

「おう、桜。おはよう」
「はい、おはようございます。……えっと、それで先輩、そちらの方は?」
「ああ、イリヤっていうんだ。ほらイリヤ、彼女が桜。さっき話した俺の家族だ」
「お話は伺っておりますわ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンです。よろしくお願いしますね」
「あ……、はい、こちらこそ」

 わざわざ立ち上がって優雅に礼をする少女に、桜は思わずお辞儀を返した。しかし、彼女の姓を聞いてしまってはそれだけでは済まない。

「ア、アインツベルン!?」

 祖父からその名は聞いていた。同じ御三家の一角として、聖杯戦争の強敵という事もあるが、何より桜にとって重要なのは。

「それじゃあ、切嗣さんの……?」

 士郎の養父、衛宮切嗣が婿入りした先であるという事だった。

「ふーん、知ってるんだ?」

 イリヤの浮かべたその微笑みに、桜は思わず凍り付いた。人間とは、あんな表情ができるように造られていたのか。灼熱の如く冷酷で、慈母のように優しい天使の笑い。

 イリヤがアインツベルンの者だというのなら、その目的はなんだろうか。前回の聖杯戦争で、切嗣は最後に彼等を裏切ったと伝えられている。それがもし真実ならば、そしてこの少女がアインツベルンの意志の執行者ならば、その先に導かれるのはただ一つ———。

「安心して。当分シロウに危害は加えないから」

 ふわり、と軽やかに桜に飛びついて、イリヤは優しく囁いた。お兄ちゃんの事、気に入っちゃったしね、と無邪気に告げる。その仕種はあまりにも幼すぎて、桜は思わず彼女を年上のように感じてしまう。赤い瞳が揺れる様は、嘘をついているようには見えなかった。

386 名前: Double/stay night ◆SCJtHti/Fs 投稿日: 2006/09/10(日) 20:38:41

「さっきから親父とかアインツベルンとか、一体何の話なんだ?」
「ひ、み、つ。女の子同士の会話に口をはさむなんてマナー違反よ、お兄ちゃん」

 クスクスと笑いながら周りの追求をいなすイリヤを見ていると、桜の胸にたまった泥もかすかに洗い流されていくようだった。彼女は自身の事しか考えてなかったのに、小さな少女は周りを気づかっているように思えてしまったのだ。

 恥じ入る気持ちは心に溶け込み、ほんの少しだけ楽になった。ふと見るとライダーと目が合って、桜は気恥ずかしそうに笑いあった。眼帯の奥に隠された瞳も、きっと笑っているに違いなかった。

 その時である。呼び鈴が誰かの訪れを告げたのは。

「あ、わたし出ます」



 アインツベルンに用意させた対物ライフルをセットして、アサシンは小さく息を吐いた。彼方に見える衛宮邸。その中庭で死闘が演じられるのは、今夜か、明日か。

 勝てる状況は整っただろうか。アーチャーとセイバーが健在なら、かの英雄王も倒せるはずだ。加えてライダーの存在があり、さらにここに一発の弾丸がある。いかに音速の数倍で飛ぶ破壊の鉄槌といえどギルガメッシュを倒す事はできないだろうが、一瞬の隙をつくり出すには十分すぎよう。アサシンはこの作戦には自信があった。

 事実、何度もこうして勝ってきたのだ。

 しかしアサシンの手のひらは汗ばみ、緊張で微かに震え続けていた。慣れる事などない。ギルガメッシュとはそれほど強大な存在であり、他の英霊はともかくアサシンなど彼の前では塵にも等しかった。

 そしてなにより、今回の聖杯戦争は不安の色が濃すぎるのだ。一見すると現状は上手くいっているように思える。早々にアインツベルンを牛耳り間桐家を潰した。ギルガメッシュさえ倒せば後は柳洞寺のキャスターだけだ。今度こそ、なんと辿り着けるかもしれなかった。求めて止まない、幸せすぎる結末に。

 だが、それが裏目に出てはいないか。アサシンはもう一度考える。もしもここがあの世界なら、最悪の惨劇が待受けているのかもしれないのだ。懐から携帯電話を取り出して、そのアドレス帳を開いてみる。

 後悔するかもしれない、とアサシンは悩んだ。今のうちに、このスイッチを押さなかった事を。

 ———もしも、彼が魔術さえ使ってくれれば杞憂だと安心できるのだが。

387 名前: Double/stay night ◆SCJtHti/Fs 投稿日: 2006/09/10(日) 20:39:26

 少し早めに取った夕食は、賑やかというより騒がしかった。

「お兄ちゃん、これ美味しいね! なんて料理?」
「お、気に入ってくれたか。それは鳥の唐揚げっていってだな……」
「シロウ、すみませんがもう一杯お代わりを」
「セイバー、あなたは先ほどから食べすぎです」
「……む。ライダー、あなたはこの料理の価値が分かってないのですか? これは私の時代のどんな料理よりも……」
「もうっ、二人ともやめて下さい。ほら、セイバーさんお代わりでしたね」
「ありがとうございます、サクラ」
「これは……、私の家で雇いたい味ですわ」

 わいわい、がやがやと華やかな食卓。衛宮の家は急に大所帯になって、虎がいなくてもお祭り騒ぎで楽しかった。士郎と桜が冷蔵庫を空にするほど用意した大量の品が、手品のような勢いで消えていく。

「でも、悪いわね。突然押し掛けたのにご馳走になっちゃって」
「凛、気にする事はない。この程度の未熟な味で恩にきせられても困るというものだ」
「味がしないわ……」

 先ほど尋ねてきた凛も、そしてそのサーヴァント達もちゃっかり相伴に預かっている。流石に居間の食卓でも座りきれず、急遽もう一つ並べてなんとか間に合わせた。

「アーチャー、流石にそれは失礼よ」
「そうですわ。全く、マスターが無礼ならサーヴァントも無礼ですのね」
「———なんですって? あんたまたやる気?」

 凛は桜達が心配だったらしく様子を見に来たらしいのだが、なぜか訪れた瞬間、ルヴィアゼリッタと壮絶な舌戦を繰り広げてしまったのだ。まずは遠坂の姓を聞いたルヴィアゼリッタが先に反応し、憤慨した凛も反撃を開始した。

 よほど相性が悪かったのか。周りから見れば似た者同士としか見えない二人は、士郎と桜が間にはいって無理矢理止めるまで、延々と毒舌の応酬を続けていたのである。

「ふっ、ならば勝負で白黒つけるか小僧!」
「……アーチャー」
「なに、心配はいらんよ。こんな未熟者ごときに八つ当たりしても空しいだけだ。……それに何より、今の私には君がいる」
「いえ、そうではなく。私の分は濃い味でお願いします」
「……了解した。ところで、まだ食材はあまっているかね?」

 そんなドタバタ劇を見て、イリヤはクスリと微笑んだ。大勢で囲む食卓が、こんなに素敵だとは思わなかった。思わぬところでこんな一時をくれた弟たちに、イリヤは心から感謝をするのだった。



「先輩、支度できましたよ」
「おう。それじゃ行こうか」

 通夜に出かける準備を終えた士郎と桜は、留守番を凛達にまかせて玄関へと向かった。一応の護衛という事で、霊体化したライダーを従えて。

「わたしもそろそろおいとまするね」

 イリヤも暗くなる前に帰る気なのだろう。二人の跡をてくてくついていくその様子は、まるで兄弟か親子だろうか。容姿はまるで違ったが、何となくそんな雰囲気をかもし出している。

「ねえシロウ。リンだっけ。あの人に留守番なんてまかせて大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。なんていっても、遠坂先輩はわたしの姉さんなんですから」
「遠坂か。話には聞いていたけど、そうか、あいつも魔術師だったんだよな……」

 既に陽は傾き空は赤い。長く伸びる三人の影は仲良く寄り添い、ほのぼのとした川の字を描いている。

「わたしはお兄ちゃんが魔術師じゃなかった事の方がびっくりしたわよ。てっきりマスターになると思ってたのに」
「だけど先輩は、先輩ですから」

 イリヤは少し不満そうに頬を膨らませ、桜はそれを見て優しく微笑む。お互い、赤く染まった街の中、すでに姉妹のように打ち解けていた。

「じゃ、わたしはこっちだから」
「ああ、またな」
「いつでも遊びにきてくださいね」
「うんっ! 今度はお土産持ってくからね!」

 分かれ道。ぶんぶんと大きく手を振り駆けていくイリヤを見送ってから、二人は通夜の会場へとよりそっていった。……紅に濡れたその別れに、一切の不安を感じずに。

388 名前: Double/stay night ◆SCJtHti/Fs 投稿日: 2006/09/10(日) 20:40:14

 それは、キャスターにとって非常に幸運な事実だった。偶然流れ着き陣取った寺の真下に、聖杯戦争の根幹たる大聖杯が存在したのだから。たまたまそれに気がついたとき、彼女は思わず狂喜した。

 街中の人間から生命力を吸い取れるほどの魔術システムを構築し、山門には相応の門番をおいた。しかし、それもどうやら無駄になりそうだ。ルールそのものをその手に握りしめてしまったなら、駒の動きなど些末に過ぎよう。

 これで宗一郎との幸せな未来は決まったも同然だ、とキャスターは歓びに胸を躍らせた。彼女の真名はメディア。かつては裏切りの魔女と呼ばれていたが、それでも人並みに恋に憧れていた。否、だからこそ人並み以上に焦がれていた。

 一刻も早く、とはやる自分を押さえながら、キャスターは意識を大聖杯へ下ろしてみる。ゆっくり、慎重に、しかし大胆に。

 その結果、見えたのは非常に複雑な魔術式だった。が、それでも彼女にかかれば解けない問題などではなかった。ならば、本腰を入れるのは夜中がいい。中心に触れるのは今夜にするとして、キャスターそれまでにすべき事があった。

壱 祝いのご馳走をつくる事だ。
弐 宗一郎を迎えにいこう。
参 念の為寺の住人達を追い出す事だ。
四 バーサーカーの制御を完璧にしよう。

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最終更新:2006年09月14日 16:23