842 名前: 766 ◆6XM97QofVQ 投稿日: 2006/08/15(火) 02:40:37
弓道部に寄っておこう。
「桜、俺も弓道場に行っていいか?」
「え!?」
校門に着いてから言った俺の言葉に、予想以上に驚いた声を出す桜。
そりゃあ突然行くと言ったら驚くだろうな、とは思っていたけれど、ここまで驚かれるのは予想外だった。
……ほんの少しだけど、ショックだ。
「いや、迷惑ならいいんだ。突然ゴメンな」
「い、いえ! 迷惑なんかじゃありません! 美綴先輩も喜ぶと思いますし!」
「……そうか?」
どうも落ち着かない様子の桜だが、風邪だろうか?
そういえば、さっきから顔がほんのりと赤みがかっている気がする……
しかし、桜の様子を見る限り体調が悪そうな印象は感じない。
病は気からともいうし、指摘することで体調が悪くなることもある。今はそっとしておこう。
「失礼します」
「おはようございます、主将」
俺が一礼をして中に入ると、桜も主将である美綴に挨拶をしに、弓道場の一角へと向かう。
と。
「……遠坂?」
珍しいこともあるものだ。美綴の隣では、高嶺の花である遠坂凛がノートを広げて予習中だったのである。
学園のアイドルが、弓道場なんぞに何か用でもあるのだろうか?
そういえば、さっきまで美綴と親しげに話していた気がする。じゃあ、美綴を訪ねて来たのだろうか。
この二人の仲が良かったとは初耳だけど。
「おや、衛宮は遠坂の奴に気があるのかい? 止めといた方がいいよ、衛宮じゃ物を貢がさせられて捨てられてはい終わり、だと思うね」
「美綴さん。本人の前で堂々と悪口を言うのは止めた方がいいですよ? 言われる方も気分がいいものじゃありませんし」
気付けば、思わずジロジロと遠坂のことを見てしまっていたらしい。
美綴にそのことを見咎められ、しかもなぜか遠坂と美綴の間で険悪なムードが漂い始めた。案外仲が宜しくないのかもしれない、この二人。
そんな二人を見て、桜はオロオロと困っている様子。もしかしてこの場で二人を仲裁できるのは…………俺だけ?
「あー、二人とも。喧嘩は良くない。見ろ、桜だって困ってる」
桜を出汁(だし)に使うようで気分は良くないが、俺の独力では二人の怒りを治められないのである。
なので、仕方なく桜の方を指差してみる。すまん桜。
俺が言うと、美綴はごめんごめんと謝りながら桜を元気付けに行く。
ほっと一息吐くと、視界の端に何やら奇妙なものが移った。
「?」
抱き合う、というか一方的にじゃれつく美綴とじゃれ付かれている桜を、遠坂がちらりちらりと横目で何度も伺っていたのである。
遠坂の不審な様子に首を傾げるが、まあ、遠坂は学園のアイドルだ。
美綴のように、気楽に誰とでも接し合えるわけじゃない。淑女の嗜みというやつを心得ているのだろう。
……大穴としては遠坂に百合の気があるかもしれないという線だが、そんな妄想妄言は失礼千万なので破棄である。
「なあ衛宮。どうせ弓道場に来たんだから、ついでにあんたのご立派な射を見せて貰いたいんだけどさ」
ふと俺がおかしな思考にふけっていると、美綴が定番のアレを言い出した。
毎度のことながら、俺が弓道場に来るたびに言い、俺を弓道場に誘うたびに言っている言葉なので、もはや社交辞令となりつつある。
「またそれか? 俺はもう弓道を辞めた人間だ。そんなやつが軽々しく持つ弓はないし、持つ気もない」
「あー、射が立派なら言うことも立派だね。ご立派ご立派。だけど、そんな堅苦しいことばっかり言ってると禿げるよ。ねえ遠坂?」
「禿げるかどうかは分からないけど、そんなに美綴さんが褒める射なら、見てみたい気もするわね」
「む」
「わ、わたしも先輩の射を見たいです!」
「むむむ」
どうやら、今日は社交辞令ではないらしい。遠坂や桜を仲間に引き入れるとは、卑怯なり美綴!
まあ、さっき言ったこととは矛盾するのだが、憧れの女子生徒にいいところを見せたいというやましい気持ちがないわけでもないわけで。
843 名前: 766 ◆6XM97QofVQ 投稿日: 2006/08/15(火) 02:41:58
「……一矢だけだぞ」
「おお、今日は遠坂がいるからか気前がいいねえ衛宮」
にししと笑う美綴を睨みつけ、俺は弓を構える。
「防具は?」
「いらない。どうせ軽々しく持つ弓だ、正装する必要もないだろ」
まあ、危険性の面で考えれば付けた方がいい——というか、つけなければならないのだが、外が賑わい始めている。時間が惜しい。
———同調、開始(トレース・オン)。
内心で自己に対する暗示の呪文を呟き、その言葉によって自己を改革する。
つまりは今この時、衛宮士郎という人間は弓道の八節を刻む道具と化す。
———足踏み、胴造り、弓構え、打ち起し、引き分け、会、離れ、残心(残身)。
乱れなくその手順を踏み、矢が放たれる姿をイメージする。
あとは、そのイメージを現実にトレースするのみ。
イメージが終わっている時点で俺の中で矢は中っている。よって、矢が外れることはない。
現実がイメージをトレースし、的に矢が突き刺さる。
目を瞑っていてもそれが乱れることはなく、今の射が間違いなく会心の中りであることを感覚で理解した。
「相変わらずお見事! どうだい遠坂、あたし以上に射が立派っていうのも分かるだろ?」
む。人のあずかり知らぬところで美綴はそんなことを言っていたのか。
弓道部主将がそんな発言をするとは問題じゃないのか?
「——えっと、遠坂先輩?」
「………………え、あ、何? どうかした?」
「遠坂、地が出てる地が」
「あ、マズ」
「ほう、地が出るほどに見惚れたか。遠坂でもほうけることってあるんだねえ」
「美綴さんは黙ってくださる? 桜、出来れば今ことは忘れてくれないかしら?」
「あ、はい……」
……なにやらボソボソと小声で話しているが、なんだろう?
気になるけれど、俺は信二ではないので女子の内緒話の中にノコノコと入っていけるような度胸は無いのであった、まる。
———ただ、ひとつ印象的だったのは、遠坂が苛立っているように見えたことだろうか?
* * *
「それじゃあ、私はこれで失礼するわ」
「ああ。また後でね、遠坂」
「じゃあな、遠坂」
「……おつかれさまです、遠坂先輩」
「————ありがと。桜もしっかりね。それと、困らせて悪かったわ」
桜に謝りながらも、目線は俺の方を見ている辺り、実は遠坂って底意地が悪いやつなんじゃないだろうかと邪推してしまう。
いやいや、学園のアイドルに限ってそんなことは——無いとも言い切れない。
人間って言うのは何かしらの仮面を被っているものである。そして、状況や相手によってその仮面を付け替えるのだ。
日本ではこのことを、『猫を被る』という。
……ちょっと意味合いが違うかも? まあいいや。
さて、弓道場に顔も出したし、これから———
最終更新:2006年09月14日 16:58