780 名前: Double/stay night ◆SCJtHti/Fs 投稿日: 2006/08/30(水) 02:15:34

四 都合が悪いなら何も聞かない、と宣言した。

 立ち込める湯気は木の香りがして、ルヴィアゼリッタの鼻梁をくすぐっている。
天井から水滴が滴り落ちるたび、異国式の風呂に弾む彼女の心を童心にかえしていくのだった。

「……ですが、ミスタ・エミヤは本当にあれでよかったのですか」
「だって先輩、魔術師でも何でもないんですよ?」

 女同士ではあったのだが、それでもルヴィアゼリッタは恥ずかしかった。
淑女であるはずの彼女がその肌を全てさらけだし、無防備な背中を桜に預けていたのだから。
しかし桜の指は優しく、心地よい力強さでルヴィアゼリッタの背中を泡立てていく。

「ならば、なおさらでしょう。あの方、このままでは命を落としかねませんわよ」
「だからですよ。先輩ってなんて言うか、全部自分で背負っちゃう人なんです。
本当の事を少しでも知ってしまったら、突っ走っちゃって。
俺が全部解決してやるんだー、なんて叫びながら全速力で泥沼に素潜りしかねない人なんですから」

 本人は正義の味方になりたいんだって言ってますけどね、と桜はクスクス笑いながら付け足した。

 ドレスの下に秘められていた処女雪の白さを、木目の細やかさと瑞々しい弾力を桜が褒める。
それはルヴィアゼリッタにとって決して嫌ではなかったが、
頬がどんどん熱くなっていくのを実感しないわけにはいかなかった。

「大体、都合が悪いなら何も聞かない、なんてずいぶんと先輩らしくない台詞じゃないですか。
無理してるのが見え見えです」
「……そうなんですの?」
「はい。まあ、それだけ世界の裏側を垣間見た事がショックだったんでしょうけど、それ以上に―――」
「ミス・マトウ?」

 ふと、桜の腕に込められていた力が抜けていた。
どうしたのかとルヴィアゼリッタが振り向くと、彼女は何でもないと首を振る。
手桶で湯を掬いとり、洗い上げた背中を流していく。

「…………わたしのためだって、……自惚れちゃってもいいかなって」

 頬を染めて幸せそうにとろける桜を眺め、お暑い事でとルヴィアゼリッタは冷やかした。
その言葉にさらに照れる桜に、今度は私の番でしょうと後ろを向かせる。
桜の大きな白桃がプルリと震えて、先端の野苺もささやかに存在を主張している。

 泡立てたスポンジを握りながら、ルヴィアゼリッタは少しだけ、桜の肉体に嫉妬した。

「―――だから、わたしは何もかも打ち明けられたんです」



「苦しいですか? エミヤシロウ」

 月の光に照らされた深夜の庭、衛宮士郎は泣く事さえできずにひたすら木刀を振るっていた。
その剣筋は乱暴で、空を切る音は恐怖に震え、肩には力が篭り動きに柔軟さは微塵もない。

「悔しいのですか? 今さら知って」

 それは既に素振りではない。切ろうというのだ。
彼自身を。やがて、吹き出す汗は枯れ果て血となって、その先にある脳漿と愚かさを絞り出そうと。
桜の事を知り尽くしたつもりになって自惚れて、本当の家族だなんて調子良く口にしておきながら、
その実何も知らなかった底なしに間抜けな脳天をかち割ろうと。

 士郎は先ほど、桜の口から全てを聞いた。魔術の存在。世界の裏側。隠された神秘の機構。
聖杯を巡る魔術師達の戦い。今までの常識が音をたてて崩れていくのを耳で聞いた。
自身が立脚していた世界が無惨にも消え去ったのを実感した。

 だけど、そんなことはどうでもよかった。

 マキリの魔術と地下室の狂気。秘められた桜の出身と改造された少女の肉体。
兄にすら陵辱され、毒そのものだった絶望の毎日。蟲と蟲と蟲の蟲蔵。
おぞましく醜悪で非道すぎた穏やかな日常。桜はその全てを告白した。
静かに、淡々と、事実だけを述べる残酷さで。

「―――大丈夫ですよ。今からなら間に合います。
汚れきったおまえなんて大嫌いだってわたしを門の外に追い出して、何もかも忘れてなかった事にして下さい。
そうすれば、先輩はまた太陽の下を歩いていけます。
人間、時間がたてば大抵の事は忘れちゃいますから」

 本気の目だった。少なくとも士郎にはそう見えた。
隣で息をのんだルヴィアゼリッタも、思わず叫んだライダーという女性にもそうだったのだろう。
それが彼女の覚悟だったのか。
最後に残された居場所さえなくす覚悟で、士郎に真実を教えてくれたというのか。

「エミヤシロウ」

 泣きたかった。叫びたかった。
井の中の全てを吐き出して、耐えきれない絶望に号泣きしてしまいたかった。
衛宮士郎はこんなに弱い存在だったのか。
そんな事をしても得るものなどあるはずがなく、士郎にはそんな資格さえないというのに、
涙腺はひたすら熱くなり、脳髄はねじれて激情に逃げたくなってくる。

 ずっと、気付く事さえしてやれなかったというのに。


781 名前: Double/stay night ◆SCJtHti/Fs 投稿日: 2006/08/30(水) 02:17:55

「いい加減にしなさい、エミヤシロウ」

 何度目か分からないほど上段に構えた士郎の後頭部を、象に踏まれたような重い衝撃が貫いた。
受け身もとれずぶざまに地面に倒れ込み、顔に土が付いてしまう。
しかし今の士郎には、その痛みがたまらなく心地よい。

「自惚れも甘えも大概にしたらどうです。
あなたがいくら自分を傷つけたところで、それは自己満足でしかないのは分かっているのでしょう。
時間の無駄です。見苦しくもある」

 ライダーというクラスらしい、サーヴァントという存在だという女性は吐き捨てた。

「そろそろ桜達が入浴を済ます時間ではないのですか。土蔵で待ち合わせているのでしょう?
なら早く行きなさい。シロウ、私をあまり怒らせないように」

 冷たい土に倒れている士郎を、ライダーは追い討ちをかけるように蹴り飛ばした。
内臓が破裂しそうだった。大脳が金切り声の悲鳴を上げる。
ライダーの暴力は優しすぎて、士郎の情けなさを浮き彫りにした。

「……ああ、そうだったな。すまない」

 痛む肺でどうにかそれだけを絞り出して、士郎は土蔵へと視線をやった。
その目には光が戻りかけている。ふらつく足腰は頼りないが、迷いは見えない。
あれほど必死に握りしめていた木刀も、今は軽く握るだけ。

「ありがとな、ライダー。また、情けなくなったら頼んでいいか」
「いいでしょう。心得ておきます」

 衛宮士郎は、歩き出した。



 遠坂凛は不機嫌だった。もはや日課になった感があるが、それでも頭を抱えずにはいられなかった。
ただでさえ厳戒体制だったこのタイミングで、新都のホテルで爆発がおきたなどと聞かされては無理もない。
至急駆け付けた綺礼がガス漏れが原因とごまかしたから良かったが、万が一爆弾テロなどと報道されたら目も当てられない。

「で、今回はランサーの仕業なわけね?」
「片方の当事者はランサーと見てほぼ間違いないだろうな。
現場にあった傷痕に、槍でつけられたと思しきものが無数にあった」
「もう片方は?」
「不明だ。ただ魔術の痕跡が色濃く残っていた。
キャスターか、あるいはマスターとして参加した魔術師達が暴れた可能性があるな」
「そう。ご苦労さま」

 霊体化して現場を調べてきたアーチャーに礼をいい、凛は手にした宝石を握りしめた。

「よしっ、決めた。いい? 今日こそ他の参加者と戦うわよ。
どいつもこいつも好き勝手に暴れ回りやがって。徹底的に後悔させてやるんだからっ!」
「落ち着きなさいマスター。相手の居場所も分からない癖に吠えるのは無能の証拠よ」
「歩いて探すのっ。せっかく世間の目が新都に集中してるんじゃない。
深山なら割と自由に動けるでしょ」
「嫌よ。面倒だわ」
「―――なら帰れっ!」



壱 探索の前に教会へ寄ろう。
弐 遠坂邸の周りを固める。
参 間桐邸跡をうろついてみる。
四 円蔵山まで足を伸ばす。
伍 ……桜は衛宮君の家にいるんだっけ?

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最終更新:2006年09月13日 03:25