547 :くとぅるふクロス ◆69.0kY8lhQ:2007/03/08(木) 16:32:14
「何で爺さんは正義の味方になったんだ?」
士郎は約束を後回しにして静かに尋ねる。
問われた男は金色の満月を見上げて逡巡したあと、
過去の記憶に回帰する様にトックリの口を指先でなでる。
「何故と訊かれてもねぇ……いっぱいあるよ。
大きな理由は二つ。困ってる人を見てられなかったんだ。
面倒な事嫌いな僕だけど、助けてあげたら嬉しそうに笑ってくれた。
その時の笑顔を見ると嬉しくてね、辞められなくなった」
米酒の澄んだ香りを堪能して酒を飲み干しながら。
悔いる様に空いた方の手を握り締めて疲れた声で彼は語る。
「助けられない人もいてね。
自分の力が及ばないせいで見捨ててしまった事もある。
段々辛くなってきたんだけど、それでも困ってる人がいる間は
続けようかなって。気がついたらこんな年になってしまった」
一言一句聞き漏らすまいと、士郎は真剣に聞いている。
何ゆえ自分の成りたい者がいけないのか思考する。
考えを伝えるために声を出す。
「爺さんは辛かったのか?」
「辛かった、だけど助けたいんだ。
困窮している人達が居なくなれば安心して
余生を過ごそうと思ってたんだけど……ね」
士郎は納得した。苦難の道を選んで欲しく無かったのだと。
地獄の如き空間に幽閉された自分を助けてくれた彼はこんなに疲れているではないか。
それでも義父の表情に後悔の色は無い。
548 :くとぅるふクロス ◆69.0kY8lhQ:2007/03/08(木) 16:33:45
男は御猪口を置いてもう一つの理由を告げる。
憎しみを隠しきれなかったのだろうか、床に置いた武骨な手が曲がり拳に変わる。
「それと、出遭ってしまったからかな」
「何と?」
「奴らと」
短い答え。声は恐怖を纏い目に見えぬ畏れが士郎を襲う。
聞いてはいけない類の存在にあったようだ。
「さあ士郎、どうするんだい?」
返答の時はきた。士郎の心は既に決っている。
たとえ磨耗しようと、まだ見ぬ『奴ら』とやらも、自分の足を止める事は出来ない。
絶対に。
「爺さんはさ、ずるいよ。
かっこよすぎだった、そんな事を鼻にかけないしさ。
なにより俺は見てしまったんだ、切嗣を」
「俺さ、きっと死ぬ運命だったんだ。
赤い世界で皆と同じ様に焼かれて終わるはずだったのに
爺さんが助けてくれた」
「本当に嬉しかった。
爺さんの手が暖かかった。あの時聞いた声をまだ覚えてる。
今までほとんど家に居なかったけどさ、
爺さんが帰ってくるのを待つのさえ楽しかった。
こんな幸せは誰かに渡し続けて、貰った人が次に渡すべきだと思うんだ」
「幸せにしてくれてありがとう。
俺は、爺さんみたいな大人になるよ」
549 :くとぅるふクロス ◆69.0kY8lhQ:2007/03/08(木) 16:35:37
切嗣はただ聞いている。
憧憬の視線を受けるのは辛かった。
この手で多くの命を奪ってきた。
命乞いをする者も、子供を庇う親も決して許さず殺した。
独立種族を封印するために村を丸ごと焼き払った事もある。
そうせねばより多く生命の灯が消えてしまう。
知っているのだ。自分は外道だと。
外道を倒すために自らも外道に堕ちて叡智を授かり戦ってきた。
こんな穢れた正義の味方など居ないと悔いていた。
感謝の声が聞こえる。「幸せにしてくれてありがとう」と。
情念を伴った声が聞こえる。「爺さんみたいな大人になる」と。
握った手が暖かかった。
今この瞬間に理解できた。自分はこの息子にとってヒーローだったのだ。
罪滅ぼしでしかない行為の結果だというのに、胸は熱く、熱く。
最期になって己が救われた様な気がした。
この子ならなんとかなるかも知れない。
外宇宙から気まぐれに飛来する狂気にも、地球に根付いた一族の企みも。
人間の悪意にも負けず歩めるかもしれない。
立ち止まってしまう時もあるだろう。
転んで起き上がれなくなってしまう日も来るかもしれない。
それでも、期待してしまう──
何の力も持たないのに。悪徳に螺旋まがった存在も知らないのに。
ただ、その心だけで救ってくれた。
自分のヒーローはこの少年だったのだ。
切嗣は手を強く握り締めて、赤毛の少年の瞳を見据える。
月明かりに映える眼は恐れを知らず、見つめ返してくる。
──満足だ。
「本当はね、もう少ししたら此処を離れようと思ってたんだ。
見せたくなかった。でも士郎が正義の味方になるならそこでしっかりと僕を見て欲しい」
550 :くとぅるふクロス ◆69.0kY8lhQ:2007/03/08(木) 16:38:43
ひときわ強く握られた手に驚いた士郎は切嗣に視線を向ける。
告げられた言葉に戸惑いを覚えるが彼は御酒を飲み干すと庭へ歩き出す。
天空から世界を染める青白い月光の色彩が変色した。赤く、紅く。
「爺さん?」
「これが、正義の味方の末路だよ。
視てもなお歩むというならきっとそれが始まりになる。
諦めてしまったなら今日の事は犬にでも噛まれたと思えばいいよ」
朱色の月が重力を伴った色を士郎に浴びせてくる。
動けない躯を緊張させて切嗣を見る。
老いた身体の足元から赤と黒の螺旋がのびて月へ疾走っている。
手を大きく広げて奇妙な色月の向こう側を垣間見ようとしていた。
「うぇ・ざぃえぃ!うぇ=ざえぃ!まりくやるわてじ!
大いなるモノ、魔王よ、約束の刻限は来た。
黒き城壁を越えて迎えに来られたし!」
月の淵から貌を覗かせた異形が地上へ降りてくる。
惑星の距離を無視して僅か数秒で降り立ったナニカは哂う。
士郎の眼には理解できなかった。
形がわからないのだ。巨大な金色の瞳を胸につけているのは見えた。
だがそれ以外は理解できない。いや、理解してはいけないと本能が強く訴える。
全体像を見る事は矮小たる人間には不可能な存在。
強壮たる肉体で地球を踏みつけるソレは大きく、地軸さえ歪ませている。
アレが堕ちてきた衝撃で天が傾き、大地が空になりつつある空間。
見上げればアスファルトが融けて落下している。
世界は発狂していた。
瞳から伸ばした衝角に貫かれた切嗣を見ても士郎は動く事は出来ず、声も出せない。
純然たる畏怖に身が竦んでいる。
物を見つめてその在り方を理解するのが得意だった士郎は
ほんの一部ではあるが分かってしまった。
アレが腕を振り下ろせば地表が弾けて人は宇宙へ飛ばされるだろう。
声を出して哂われたら人は絶望のあまり自害してしまう。
怒りを買えば死より恐ろしい刑罰が待っている。
故に出来るのは、眼を閉じて、口を塞ぎこの暴虐の化身が過ぎ去るのを待つことのみ。
しかし、嗚呼しかし、士郎には目蓋を閉じる事だけは出来なかった。
逃げてしまえばどれほど楽であったか。存在に眼を背けず、しっかりと見つめる。
切嗣が戦ってきた『奴ら』とはこれほどのモノであった事をわかってしまった。
多くの人が視てしまえば恐怖のため存在を忘れてしまう『奴ら』を
前に義父は孤独に立ち向かっていたのだ。
551 :くとぅるふクロス ◆69.0kY8lhQ:2007/03/08(木) 16:41:54
視線を感じて士郎は見返す。
貫かれても、貪られても。
自己の事ではなく自分の事を気に掛けてくれる義父が居た。
こんな最期でも優しくて、変わらぬまま。
無様を晒せば失望のまま義父の時間が終わってしまう。
心配する様な色を帯びた瞳を見て頷いた。
──全然大丈夫じゃないけど頑張る。
その意思が伝わったのだろうか、彼は口を開いて声を出さずに話しかけた。
──安心してお別れが出来るよ。幸せにしてくれてありがとう。
その声ならぬ声を聞き士郎の眼から涙が零れ落ちる。
視界はぼやけ、霞が掛かった世界で義父が嬉しそうに笑って告げる。
「墓はいらない」
士郎から声が洩れる。
気持ちを伝える前に異形は轟音を立てて月へ歩み、切嗣を連れ去ってしまった。
世界は巻き戻ってゆく。
アレに吸い込まれ続けるだけだった空は密度を戻している。
アスファルトも平坦に戻りつつあるのだろうか、落下音が聞こえる。
まるで今日の事など無かったかのように。
切嗣の立っていた場所へ歩くと一冊の本が残されていた。
士郎は手に取り胸に抱きしめる。
義父の生き方を体現している遺物。
禍々しくも暖かく、表紙は湿気を帯びていた。
黒く装丁された本の題名は──
A『我埋葬にあたわず(Dig Me No Grave)』
B『超狂気との遊び方百選。めくるめく絶望へGO!』
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最終更新:2007年03月10日 20:07