745 名前: 隣町での聖杯戦争 ◆ftNZyoxtKM 投稿日: 2006/11/09(木) 04:19:10
「では今度は私が洗ってやろう」
なんて事を言われた。
「はい?」
何を言われたか、一瞬理解できなかった。
「なに、礼だと思え」
氷室は心底楽しそうに笑って見せた。
頭が普段通り動いていないのだろうと言うことは彼女自身自覚している。
イカれているから、こういう事が出来る。
「さあ、背中を向きたまえ」
ああ、面白い。
「どこか痒いところとかはあるか?」
「いや、そういうのは大丈夫」
なにしろ一度洗われているのだから、そう言ったところはないはずだ。
相変わらず痒いとかそう言った感触は失せたままであるが。
「そうか、では全体的に洗うことにしよう」
スポンジの泡を感じ取った。
「衛宮、私を鍛えていると言ったが、君も相当鍛えているではないか」
先程されたように、背中を指で突いてみる。
背中は固く、指を筋肉が跳ね返し、身体に沈み込まない。
「そうか? あんまり自覚はないんだが」
余程自分をいじめて慣れているのか、これだけの鍛え方だというのにその自覚がないらしい。
「自覚がないようなら重傷だぞ衛宮、少しは自分を労れ」
「そうは言ってもな、俺はこうだし、誰に言われても生き方とか性格ってのは簡単に変えられる物じゃないと思うぞ?」
無理はしていないし、とも続ける。
今現在の衛宮士郎は桜の味方として存在する。
だが、それでも正義<<ナニカ>>の味方で居るのと同じように、自然に努力している。
人は、在り方が変わろうとその本質は変化しないのだ。
「……そうか、ならば言い方を変えよう、楽を覚えろ、手を抜けとは言わない……ただ、見方を変えればいいと言うことだ」
「見方を変える、か……」
「そうだ、見方を変えるというのは大事なことだ、試行錯誤という意味でもな」
例えば、意識して最初の一歩を逆の足で踏み出す。
跳ね上がる地点を半歩だけずらしてみる。
深く息を吸い、軽く吐き出し続ける。
少しだけ視線を上に上げる。
「世界はきっと変わるぞ、私は変えていきたいと思う」
「……そういうものかな?」
「そういうものだ」
だから、氷室鐘という人間も衛宮士郎という人間を分かろうと努力しているのだ。
「見方を変える、か……」
上の空で自己の考えに沈む。
自分が自分で居る為のどうしても譲れぬライン。
それだけを残して少しだけ行動を変える。
例えばそれで世界がどう変わるかを想像する。
そんなことを考えていたら、頭からお湯を掛けられた。
思わぬ不意打ちに思い切り咳き込む。
ゲハァとかそんな感じの凄い声が出た。
「ひ、氷室、突然何を……」
「くくく……いや何、背中も洗ったし、色々と話をしているのに無視されたのが悔しいということもあってな」
笑いを堪えているのか、顔を下に向けて震えていた。
これも、見方を変えれば、彼女らしいと言えるのかもしれない。
「あーまったく、微笑ましいことね」
「そーねー、でもこれもシロウらしいと言えばらしいんじゃない? 誰にでも優しく、誰でも受け入れるってまさにシロウでしょ?」
「んー、そうかもしれないけど、ちょっと納得しにくいわね」
「そう?」
「もっとこう、からかい甲斐があったほうが士郎らしいと思うわ」
「それはシロウをどう見るかによって変わるわね、シロウだって球じゃないんだから立ち位置によって見え方は変わるわ」
浴槽の方から、そんな会話が聞こえた。
「そっか、これはこれで自分らしいんだ」
どうにも自分らしくない、と思っていた頭にこれも自分らしいんだ、という認識が刻まれた。
緊張し通しだったが、そんな認識が得られたと言う意味で有意義な時間だったと言えるだろう。
風呂場を出て茶の間に戻ると――
最終更新:2007年05月21日 01:42