549 名前: CASE:Holy Grail 3rd 投稿日: 2007/07/13(金) 04:35:34
――同年某日 冬木市 コペンハーゲン
――やれやれだ。
店内を見回して、バーテンダーはため息を吐いた。
戦争が始まって以来、常連客も大半が引っ越した為、
このままじゃあ店を畳まざるを得ないかもしれない。
医学勉強のために独逸へ留学した際、飲み屋――BARを一目見て、
彼はその魅力に取り付かれ、自分で店を持つことを志した男だった。
だが、それもここまでか。
幸いにも冬木の街は欧米人も多く住んでいたため、
今までも騙し騙しやってはこれたのだが……。
同盟軍の敗北も間近となった今、酒を飲みに来る者もいない。
いや、そもそも酒を飲める金があれば、とっとと海外へ脱出しただろう。
やれやれだ。
もう宵の口だというのに、たった二人しかお客がいないのだから。
思えば奇妙な客だった。
一人は目立たない。地味なスーツと鍔広帽子の白人男性だった。
割と若いようにも見えるが、年齢がわからない。
……問題なのは、もう一方。此方も西洋人の男だ。
上品な、仕立ての良い白色のスーツを着ている。
このご時世、西洋人は嫌われることが多いというのに……。
まるで自ら目立とうとしているような節も感じられる。
そしてカウンターについた男の注文はといえば、それもまた奇妙。
「ウォッカマティーニを。ステアせずにシェィクで」
マティーニをジンではなくウォッカで、しかもシェイクして出せというのだ、この男は!
気取るのもいい加減にしろと怒鳴りつけたくもなったが、ここは客商売。
それに、そんな気障なしぐさが、ふしぎと似合うような男なのだから始末が悪い。
ため息も出ようものだ。
さっさと注文の品を作ると、バーテンダーはグラス拭きをすることに決めた。
客の話は聞かないのがマナー。こんな気障な奴なら尚のこと。
……次の客は「ギムレットにはまだ早い」などと言い出さないことを祈って。
550 名前: CASE:Holy Grail 3rd 投稿日: 2007/07/13(金) 04:37:34
「……さて、調子はどうだね、クリストファー・ロビン」
最初に話を切り出したのは帽子の男だった。
スーツの男――ロビンと呼ばれた男は嫌そうに顔をしかめる。
「その暗号名はどうにも嫌いだね、ミスタ、あー……」
「あなたに習って、テディにしておこうか。いまさら気取るのも何だ」
「では、ミスタ・テディ。……約束の品は?」
一つ頷いて、帽子の男は背広の内側へと手をいれる。
ここが日本でよかったと思う。拳銃を取り出される心配を、あまりしなくて良い。
カウンターの上にそっと置かれたのは、文庫本ほどの大きさをした革表紙の本だった。
表紙は無名で、奇妙な文様が浮かび上がっているのみ。
それをクリストファーは、丁寧な手つきでポケットへと仕舞い込む。
「……確かに。もう一つの方はどうしました?」
「君の滞在場所へと送っておいた。 カバンの中。開錠番号は常通り」
「少々無用心では?」
「なに。何も知らぬ者からすれば、ただのボロ布だ。
……我々の眼から見ても、そうなのだから。大して気にする必要はあるまい」
「そんなものですかね。……やれやれ、未だに本国を恨みますよ。
あるいは、陸地で名を上げてくれなかったネルソン提督をね」
「もしくは遺品を残してくれなかったアーサー王に。
少なくとも、容易に見つかるような場所には、だが」
「違いない」
笑いながら酒を飲み干すと、クリストファーは立ち上がる。
それを大して興味の無い目で見上げる、鍔広帽子の男。
「……しかし、暗号名が気に入らないのであれば、自分で名を決めれば良いのでは?」
「ええ。そうしていますよ。……ああ、そうか。貴方には名乗ってませんでしたね」
そう言うと、男はほんの僅かに笑みを浮かべて、名乗った。
「私はボンド。ジェイムズ・ボンド。 今後は、そう呼んで下さい」
- 『ジャンヌ・ダーク』:英国諜報部員のその後。
- 『ある無名の青年について』:あるサーヴァントについて。
投票結果
最終更新:2007年07月14日 02:06