894 名前: 371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg [sage] 投稿日: 2006/09/02(土) 00:23:04


 開けっ放しにしてあった窓の外。
 そこから、黒い羽根が舞い込んできた。

「……なんだ、これは?」

 俺と向かい合っていた氷室も、それに気付いたようだ。

「……随分と帰りが遅いと思ったら、女連れでお帰りだなんて。
 いいご身分じゃなぁい、士郎?」

 その声は、羽根に遅れてやってきた。
 ばさり、という風を打つ音。
 大きな黒翼をはためかせ、その人形は降りてきた。

「す、水銀燈……」

 窓の縁にふわり、と座ったのは、見間違うはずも無い、俺の契約相手である水銀燈だった。

「でも驚いたわぁ。
 どんな女を連れ込んだのかと思えば……まさかミーディアムだったなんて」

「ローゼン、メイデン……?」

 にやり、と上からモノを見たような笑みを浮かべる水銀燈。
 対する氷室は目を見開いて、半ば呆然と「その名前」を口にした。

「ええ、そうよぉ。
 私は薔薇乙女《ローゼンメイデン》第一ドール、水銀燈。
 貴女がどのドールのミーディアムかは知らないけどぉ……」

 水銀燈が悠然と名乗りを上げる。
 足を組み、指を組み、瞳を細めたその姿はまさに優雅にして艶美。
 座ったままの俺たち……否、氷室を見下ろしながら、水銀燈はいかにも自信たっぷりそうに言った。

「私は負けない。絶対に。アリスになるのは、この私よぉ」

895 名前: 371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg [sage] 投稿日: 2006/09/02(土) 00:25:04


「……アリスに、なる?」

 それは、俺にとって聞きなれない言葉だった。
 負けない?
 ドール同士で勝ち負けがあるのか?
 水銀燈が目覚めたのは、その雌雄を決するため?
 その勝者が、アリスになれる、ということなのか?

 氷室のほうは、水銀燈の言葉を聞いても微動だにしない。
 氷室は、アリスという言葉の意味を知っているのだろうか……?

「衛宮。君の左手の薬指に巻かれている包帯は、つまりそういうことなのだな」

 不意に。
 氷室が俺に視線を合わせずに、そう尋ねてきた。
 俺の薬指に巻かれている包帯。
 やはり氷室は、これに気付いていたのか。

「……ああ。俺も、同じ指輪をしてる」

 正直に頷く。
 いまさら隠し立てしたところで意味は無い。
 氷室はそのまま、確認するようにもう一度尋ねた。

「今日、私を連れてきたのは、そのことを明らかにするためだったのだな」

「…………それは、」

 違わ、ない。
 確かに昼休みに氷室の指輪を見てから、ずっとそれが気になってて、何とかそれを確かめようと、とうとう俺の家にまでつれてきてしまった。
 そう、それに間違いは無い。
 途中の様々なやりとりは、全て誤解であったはずだ。

 なのに、何故。
 俺はこんなにも、答えを口に出せずにいるんだろう……?






「ふん、当たり前じゃなぁい」



 ぷつん、と。
 最後の糸は、銀色の刃によって断ち切られた。

896 名前: 371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg [sage] 投稿日: 2006/09/02(土) 00:26:29


「命じるより先に、自分からミーディアムを見つけてくるとは思わなかったけどぉ。
 そこだけは良くやってくれたわぁ」

「おい、水銀燈!」

 思わず俺は、水銀燈を非難するように声を上げてしまった。
 しかし、水銀燈はお構いなしに言葉を続ける。

「まぁ、今日は特別に見逃してあげるわぁ。
 ドールがいないミーディアムを倒してもつまらないしぃ?
 もっともぉ、一度見つけた以上は逃げられるとは思わないことね」

「……悪いが、今日のところはこれでお暇させてもらう。
 慌しくして、すまないな」

 その言葉に、どんな感情すらも滲ませずに。
 氷室は素早く立ち上がり、傍らにおいていた鞄を掴んだ。

「あぁ、そうそう……」

 そのまま踵を返して、勢いよくふすまを開いたところで、その背中に、座ったままの水銀燈の声が掛かった。 
 氷室は振り向かず、しかしその足を止めた。

「貴女がどういうつもりでここへやってきたのか、なんて、興味無いけど。
 士郎は私の下僕よ。
 貴女にあげるつもりは無いわぁ」

「……っ。失礼する!」

「氷室っ!」

 今度こそ。
 氷室は立ち止まることなく、走り去っていった。
 ……いって、しまった。

897 名前: 371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg [sage] 投稿日: 2006/09/02(土) 00:27:27


「……っ!」

「放って置きなさい。
 今さら追いかけてもしょうがないでしょう?」

 追いかけようとする俺を、水銀燈が制止する。
 振り返ってみると、水銀燈は相変わらず足を組んだまま、窓の縁に座っていた。

「水銀燈……いくらなんでも言いすぎだ。
 あれじゃあ氷室を追い出したも同然だろ」

「お馬鹿さぁん。
 人間の女、それも他のドールのミーディアムのことなんか、私が気にかける必要なんてないじゃなぁい」

 くすくす、と可笑しそうに笑う。
 それを聞いて、俺は大きく息を吸い、それを一度に吐き出した。
 呆れたわけでも、怒ったわけでもない。
 ただ、どうしてこうなっちまったのか、とやるせなかっただけだ。
 そうして俺は、再び水銀燈に背を向けた。

「そういうわけにもいかないだろ。
 とにかく、俺は氷室を追いかけるから――」

「……そんなに、あの人間の女のことが気になるの?」

 今にも駆け出さんとしていた俺の脚は、その一言で停止した。

「士郎。これ以上私との約束をすっぽかしてまで、あの女を追いかけるというの?」

 水銀燈の言葉は、不機嫌そのものだった。
 怒り。苛立ち。揶揄。冷笑。
 そういった様々な感情の発露だった。

 だが……。

 俺は思い出した。
 水銀燈と初めて出会った日、土蔵の中を見上げていた水銀燈の姿を。
 天使と見間違えるほどの、儚さすら感じさせる姿を。

 きっとこいつは、今日もずっと土蔵の中をああして見上げていたのだろう。
 堆く積み上げられたガラクタの山を、一人で見上げていたのだろう。
 ――帰ってきたら探してみよう。それまでは大人しくしていること。
 そう言って出て行った俺を、ずっと待っていたのだろう。

 窓からは既に西に沈み始めた夕日の光が差し込み続けている。
 それを背に浴びた水銀燈の顔は、暗く沈んでいるように見える。

 俺には、その顔が。
 今にも泣き出しそうな、迷子のように見えた。



 どうする? どうすればいいんだ……?



α:水銀燈に従う。
β:水銀燈に逆らう。

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最終更新:2006年09月03日 18:46