590 名前: 371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg [sage] 投稿日: 2007/08/23(木) 00:51:43


 もう少しこの場所に留まってみることにした。
 水銀燈たちを生んだ人形師の工房を、もう少し見ていたかったのだ。

「でも、見るにしても、この状況じゃなぁ……」

 改めて部屋を見回す――ただでさえ所狭しと物が置かれている部屋に、大人の男たちが何人も入り込んでいるわけだから、部屋の中はかなり騒然としていた。
 手始めに、近くにあった大きな棚……様々な人形の部品や原型が置かれている棚を見上げた。
 もしかしたら水銀燈や雛苺、真紅といった、俺の見知っているドールがあるかと思ったのだが……。

「いない、か」

 まだ作っていないのか、それとも既にここを立ち去った後なのか……。
 もし後者ならば、既にアリスゲームは始まっているということになる。

「ローゼンが既にこの世界にいない、ってのを信じるなら、もう始まってるんだろうな、きっと」

 薔薇乙女《ローゼンメイデン》を探すのを諦めた俺は、次に先ほどまでローゼンが座っていた机を見てみることにした。
 さっきまでローゼンは、一体なにをしていたのだろう。
 あれが幻だったとしても、少し興味が湧いたのだ。
 慌しく動き回る男たちの間をすり抜けながら、足元に散らばる鏡の破片にも気をつけて歩く。
 机の上を覗き込むと、何枚かの紙と羽ペン、そしてインクが置かれていた。

「これは……なにかのメモか?」

 紙には流暢な英語と思しき文字で、走り書きがしてあった。
 ローゼンはこれを書いていたんだろうか?
 生憎、あまりに流暢すぎて俺にはさっぱり読めないのだが。

「ちぇ、遠坂あたりならきっと読めるんだろうけど……っと」

「――机も調べろ。
 先ほどまで何かをしていたはずだ」

「はっ」

 そこへ、割り込むように男が一人、机を物色しにやってきた。
 どうやら俺と似たようなことを考えた奴がいたらしい。
 男は机の上の走り書きを乱暴にかき集めて……ふと目に止まったのか、一番上に置かれていた、一番新しい走り書きの内容を読み上げた。

「……物質として存在することが、究極の少女への足枷になる可能性……?」

 ……なんだって?
 なにやら小難しい言葉だったが、究極の少女って単語は理解できる。
 ローゼンが目指していたもの、それが究極の少女アリス。
 薔薇乙女《ローゼンメイデン》は、そのアリスを目指して作られた一連のドールだ。
 そして、物質として存在すること、ってのは、身体を持っている、ってことだよな。
 それが足枷になる、って言うんだから、つまり……アリスになるためには、身体を持っていたらダメなのかもしれない、ということか。
 つまり、ローゼンは……幽霊の人形を作ろうとしていた?

「……まさかな。そんなものが、作れるはずが」

 それに、そもそもこれはローゼンが思いついた可能性を、走り書き程度に残したものに過ぎない。
 そうに違いないという確信でも、実際に作ったという記録でもないのだ。

 だから、そう。
 『実体を持たない薔薇乙女《ローゼンメイデン》』なんて、居るわけがない。

 パキリ、と。
 足元で何かが割れる音がした。
 目を落とすと、一面に散らばる鏡の欠片。
 そうか、これも鏡なんだ、だとしたら……。

「ここからまた、別の場所に飛べるかもしれないな」

 それを試してみる前に……俺は改めてもう一度、周囲をぐるりと見回してみた。
 かつて、そしてたった今まで、人形師ローゼンが居た場所を。

「……究極の少女を求めた魔術使い、か」

 俺は、ローゼンにどんな感情を抱いているんだろう。
 作る者としての憧憬?
 魔術使いとしての共感?
 それとも……水銀燈たちを置いて消えた男への苛立ち?
 いずれにしても、会った事もない人に対して抱くには、身勝手な感情なのかもしれない。
 けれど、あえて言葉にするのなら、一番近いのは、きっと……。


α:憧憬だ。
β:共感だ。
γ:苛立ちだ。

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最終更新:2007年08月23日 13:12