762 名前: ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/09(火) 18:43:24


::::::This is not:::::

唐突な話だが、自分を一つの不定点だと考えてみて欲しい。

自らの位置を知るには、勿論、他に定点が必要だ。
その定点と自分の関係により、ようやく自分が何処にいるのかが判るのである。

そして目的地をその定点とし、そこへ進むことを考えてみよう。

それは一見容易いことだろう。
だが、実際には曲がりくねった迷路が行く手を阻むとしたら、それはどれだけの困難を伴うのか?

迷宮の遥か先に輝く光を目指し、ただ歩き続ける。

そうして、いつしか何もわからなくなるのだ。

光に近づいているのか、遠ざかっているのか。
目が眩むうちに、それすらも測れなくなる。
自分が何処にいるのか、何処から来たのか。
削り落ちていって、忘却の彼方へと落としてしまう。

そして、何処へ行けばいいのか、何処に行きたかったのかすらも、摩耗して見失ってしまうのだ―――

763 名前: ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/09(火) 18:44:45

 ――日本を発ってから四年が経っている。

 薄情な話かも知れないが、倫敦で寂しさや故郷への恋しさを抱いたことはなかった。
 目まぐるしく新しい出来事が襲ってくる中で思う暇もなかったのだ。
 時々の里帰りだって慌しく出発して、知己に会ったその足でとんぼ返り。
 落ち着くゆとりなどない、そんな生活。
 目の前の物事を処理するだけに精一杯で、最近は気にすることもなくなっていた。

「それでも――――やっぱ、来てみると懐かしいもんだな」

 海風と山の木々の匂い。
 遠くのお山に見える寺の姿が、胸中に言い表せない感情を引き起こす。

 ぐるりと街を見渡した。
 思えば、どれだけこの街を訪れていなかったのか。

 懐かしさとともにあるのはちょっとした驚きだった。
 久しぶりの冬木の街は、俺の記憶から様変わりしている。
 これではヴェルデの代わりに出来ていた映画館すら何処にあるのか判らない。
 大体、駅にデッキなんていつの間に出来たのか。
 ちょっと留守にしていた間に、勝手知ったる我が街は何処かへ去ってしまったようだ。

「……………仕方が無い、バスを使うか」

 現代社会の変容のスピードには脱帽だ。
 駅前に立ち並ぶ面々は、俺が住んでいた頃からもはや別人のように変わっている。
 あと十年もすれば、面影なんて何処にも残っていないんじゃないだろうか。

「あ、すいません、乗りまーす」

 出発寸前のバスにどうにかギリギリで乗り込んだ。
 中は満席、座る場所はない。
 ちょっと嵩張る荷物を脇に置いて、立ったまま窓から景色を眺めることにする。

「あ」

 川面にはまだ瓦礫が作り出した浅瀬の姿が残っていた。
 その大きさは縮まるどころか、増している気がする。

 バスは駅の側で左折して、冬木大橋へと入っていく。

「この橋、まだ大丈夫なのか……?」

 いつ崩れるかわかったもんじゃない、と思い続けて十年は経っている。
 杞憂が杞憂のままで終わっていることはともかく、未だに建て替える気はないのが気になるところだ。
 駅前の高層化よりもこういう安全に関わる案件こそ優先すべきなのだが、どうにも新都の開発ばかりに目が向いているのではないか。
 巣作りしている野鳥を見ると気後れするが、やっぱり新しい橋に代えた方がいい。
 せめて補強ぐらいすべきだろう。
 そう思って頭の中で設計図を思い浮かべ、素人なりに補強ポイントに考えを巡らした。

 そんなことをしている間に、バスは目当ての停留所に着いていた。
 運転手に礼を言い、坂の下の十字路に降り立つ。

 案の定、深山町の奥はあまり変わっていなかった。
 ここから先は目を瞑っていても道が判る。
 何だかんだで、俺にも望郷の想いはあったようだ。
 少しも変わらない風景を歩いていると、帰ってきたんだなあ、と実感が湧いてくる。

 だが、自分の家に郷愁と言える感情は湧いてこなかった。
 まるで他人の家のようで、まだこの屋敷に衛宮士郎の家だということがむしろ不思議に思える。
 それはきっと―――俺がこれっきり帰ってくる気がないからなのだろう。

764 名前: ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/09(火) 18:46:15

「……あれ?」

 扉の鍵が開きっぱなしだった。
 おまけに玄関には、だらしなく放り出された靴が転がっている。

 心当たりは……まあ、一つしかないのだが。
 動機はまだ判らないが、容疑者はただ一人である。
 ひとまず荷物は玄関に置いて、廊下の奥へと進むことにした。

「あー、なるほど、そういうことか」

 当然のことだが、あまり手入れはしていないようであちこちに綿埃がある。
 まあ、それはいい。
 家主が居ないのだから当然のことと言えば当然のことだろう。
 問題は、ガラクタがはみ出たダンボールが定期的に見つかることだ。
 どうやら犯人は私物を持ち込んでは放置しているらしい。
 実際は使っていない家なのだから、俺が困ることはない。

 ないのだが、罪は罪だし、家主としての沽券にも関わる。
 ここは一つ、寝っころがってテレビを見ているあの獣をとっちめねばなるまい。

「こら、藤ねえ」
「んー。士郎、おかえりー」

 ごろごろ転がりながら、出迎えてくれる藤ねえ。
 その様子は以前と変わらない。
 ……まるで成長していない……。

「あれ? やだ、士郎ったら、本当に背伸びてる。
 日焼けまでしちゃってるし、一体倫敦で何してたのよ!
 もしかして、改造? 改造されちゃったの、士郎?
 倫敦の秘密超人に負けちゃったのね、およよよ。
 ああ、可哀想な士郎! でも安心無用、心配無用! 私が叩きなおしてあげるから!」

 早回しで百面相をしてみせる藤ねえ。
 これまた以前と変わらず、子供のような騒ぎっぷりだ。
 その姿にもうすぐ三十路になろうという影はない。
 確かに藤ねえは安心無用らしい。
 なんつーか、この人はこれが完成形であり、変わることはないのかもしれない。

「いや、改造はされてない。
 というか、『何してた』はこっちのセリフだ、あのダンボールは何なんだ」

 とりあえず、ビシっと見える位置にあるダンボールを指し示してみる。
 藤ねえは悪びれたふうもなく、首を傾げた。

「あれはー…えーと、このあいだミカンは食べ終わったから…缶詰?
 いや、お煎餅……は士郎の部屋だし、士郎にとっといた面白グッズかなぁ?」
「……要するにガラクタなんだな、あれは」
「ちーがーうー。
 士郎がいなくなってからというもの、家が片付かなくって大変だったのよ?
 せっかく拾ってきても誰も直せないし、誰も遊んでくれないし。
 お姉ちゃん、辛かったなー」

 もうお姉ちゃんなんて歳じゃないだろう、という喉まで出かかった言葉はさすがに呑み込んだ。
 まあ……人生を謳歌しているおかげか、あまり老けてはいないと思う。
 だが、手をばたばたさせる姿もいい加減に難しくなってくる年頃の筈だ。
 なのに何なんだろう、このトラは。
 今さらだが、この人は子供っぽさが怖いくらいにハマっている。
 このままお婆ちゃんになるんだろうか、藤ねえは。

「まったく…どのくらい持ち込んだんだ?」
「うーん、三十個ぐらいだとは思うんだけど」

 それを聞いて、思わず頭を抱えた。
 ダンボール三十箱分といえば、ちょっとした家族の引越しが出来る量だ。
 それをえっちらおっちら、アリよろしく運び込んだのか。

「持って帰ってくれ、頼むから、全部」
「ええ~、ぶーぶー」
「食い物も含めてだぞ。特に生のものはダメ、ゼッタイ」

 藤ねえは口を尖がらせて駄々っ子体勢に入るが、何と言われようともダメなものはダメなのだ。
 そのまま放置され続けたら危険物倉庫になることは目に見えている。
 抗議活動をしばらく無視していると、しぶしぶとだが、藤ねえは納得したようだった。

「あ、そうだ。
 でも、とっておきの一箱ぐらいは残しておいてもいい?」
「あのなあ」
「いーじゃない。
 士郎ったら滅多に帰って来ないから、こういうときに見せておかないと、ね?」
「む……」

 さっきまではおちゃらけていたが、今の藤ねえは目が本気だ。
 実際、俺が中々戻ってこなかったのも事実だし、ここは――

 1:また今度と言ってなだめる。
 2:絶対にダメ。持って帰らせる。
 3:仕方が無いから一緒に遊ぶ約束をする。

投票結果

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2007年10月22日 20:22