831 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 22:55:09


 ――空は見るからに重い雲を並べていた。
 それを見て、雨が降ってくる可能性もあるな、とちょっと不安になった。
 雨具ぐらいは持つべきだったかもしれない。
 だが石段を登りきっておきながら、ここから家に傘を取りに戻ろうという気はさすがに起きなかった。

 さて、寺で修行を積んでいる一成は、どんなふうに変わったのだろうか。
 卒業後すぐに会ったときは、髪が短くなった以外に変化らしい変化はなかったのだが。

 門をくぐった先にはお堂が構えている。
 寺なのだから当然だが、新都のように大きく変わった様子はない。

 一成は―――見当たらない。
 それだけでなく人影自体がない。
 考えてみれば、連絡もなしにいきなり会いに来たのだ。
 一成たちが居ないということも十分にありえた。
 零観さんや親父さんだって他所の寺に修行に出ていたことがあったし、一成が今も残っていると考えたのは楽観的過ぎたかもしれない。

「すいませーん」

 お堂の中に呼び掛けても返事はない。
 全員総出、ということもあり得るのか。

 まあそれならそれで仕方がない。
 お山でやることは―――――もう一つあるのだ。

 ……最後に一度会いに行ったっきりで、それから何年も経っている相手がいる。
 喜ばせるような報告もないが、顔を見せなきゃいけない相手。
 裏手のあぜ道を進んだ先、そこで彼女はひっそりと佇んでいた。

 今も変わらず彼女はそこに居る。

 息を呑んだ。
 ガキの頃にも、こんなふうになったことがある。
 坂の上の教会に行くことが出来なかった。
 後ろめたくて、背中から熱が抜けていく感覚。
 なぜか足が前に出なかった。

 でも――今度は行かなければ。
 知ってしまったから余計に足が重い。
 だけど知ったからこそ、行かなければならない。

 目を瞑った。
 一度大きく息を吐き、情けない心から根性を捻り出して、俺は墓石の側にしゃがみこんだ。

「――イリヤ、久しぶりだな」

 ようやくのことで声を振り絞る。
 言葉は返ってこない。
 ぽつりぽつりと落ちてきた雨粒が、墓石を染めていく。

832 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 22:56:31

「中々来なくて悪かった。
 遠坂とか、遠坂と似たもの同士のお嬢様とか、向こうでは大変なヤツらばっかりでさ。
 俺、魔術も下手くそだろ?
 とんでもないスパルタばっかりやらされるんだよ。
 鍛錬片手に遠坂を二体分も相手にしてたら、戻ってくる余裕がなかったんだ、ごめんな」

 ……イリヤの顔を最後に見たのは四年前になるだろうか。
 あの頃の俺は何もわかってなくて、自分の理想だとか未来のことだとかを夢想しているだけだった。
 理想の眩しさだけに囚われて、イリヤのことが見えていなかった。
 俺にイリヤを助けることなんて出来はしなかっただろう。
 だとしても、俺は側に居たのに気づけなかったのだ。

「まあ、そのおかげで随分魔術は上手くなったんだけどな。
 一般的な魔術なら使えるようになったし、俺の『投影』が何なのかも判った。
 西欧中を引っ張りまわされてる間に、色んなことも知れたし」

 イリヤが死んだのを知ったとき、俺は倫敦で魔術のことばかり考えていた。
 日本を発つときには、既に彼女が弱っていたことにも気づかず、彼女のことを心配することもなかった。
 少し俺たちと違うだけなのだ、と。
 そんな都合のいい思い込みだけで、彼女のことを考えなかった。

 それが後ろめたくって、今までここを訪れなかった。

「…この間、さ。
 ようやく判ったんだ、なんでイリヤが切嗣を嫌ってたのか。
 俺は何も知らずに、アインツベルンが爺さんを憎んでるだけなんだと思ってた」

 でも、事実は違った。
 イリヤはアインツベルンの魔術師として切嗣を憎んでいたんじゃない。
 アインツベルンのマスターとして俺を狙ったのでもない。
 彼女は――刷り込まれた感情でも義務でもなく、俺たちを憎むに足る理由があった。
 俺は彼女から幸せを奪っていた。
 知らなかったことは言い訳にならない。
 俺が本来彼女に与えられるべき平穏を享受していたことに変わりは無い。
 何より、あの平穏は俺にとって何にも代え難い大切なものだ。
 だからこそ俺は、その不平等から目を逸らす訳にはいかない。

「知ったから俺に何が出来るって訳じゃない。だけど――」

 辛いのはイリヤが何も言わなかったことだ。
 何も言わずに俺と居てくれた。
 俺を兄と呼んでくれた。

 空を仰ぐ。
 …雨が降ってきたのは丁度よかった。
 泣いてなんかいないけど、涙が出てもきっと判らない。
 墓の前で泣いてるの見られたら、それこそイリヤに怒られてしまう。
 彼女が涙を見せずに去ったのだから、俺も――それに応えなくては。

「――知ったからには、言っておかないと駄目だと思ってさ」

 そこから先にどうやって言葉を続ければいいのか、まるでわからなかった。
 何か言わなければいけないと思っても、頭には何も浮かばない。
 だから、じっと向かい合うことしか出来なかった。

 ぱたぱたと舞い散る水滴が、染み込んでは消え、濡らしては乾く。
 どれだけの間、そうしていたのか。
 気づくと、雨は過ぎて、山は柔らかな曇り空を取り戻していた。

「…悪い、もう行かないと。
 ―――じゃあな、イリヤ」

 ようやく思いついたのがそんな言葉だった。
 最後の別れとして、最良のものとは言い難い。
 でも、それが精一杯の言葉だった。

 濡れた顔を拭って、一度ぴしゃりと頬を叩いた。
 さあ、帰らないと。
 藤ねえもそろそろ運び終わって、夕飯へと思いを馳せている頃だろう。

 空をもう一度仰いで、それからあぜ道を歩き出した。
 鬱蒼とした雲の隙間から、僅かに陽が射していた。

833 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 22:57:57


 お堂へと戻る途中、僧服の男が向こうから歩いてきたのが見えた。
 受ける印象は随分と違ったが、歩き方がまるで変わっていないから、すぐに誰なのかは判った。

「一成」

 よお、と手を振ってみた。
 一成は俺が誰なのか判らなかったようで、目をぱちくりとさせている。

「もしや――衛宮か?」
「おう、久しぶり」
「……何と。噂には聞いていたが、まさかこれほどとはな。
 よもや衛宮から見下ろされようとは、学生のころからは考えられん」

 一成は目を丸くして言った。
 ちょっと複雑だが、見慣れた反応だ。
 この二年ぐらいは知り合いと会う度に驚かれている。

「おっと、すまん、挨拶が遅れてたな。
 久しぶりに会えてうれしいぞ。三年、いやもうじき四年振りになろうというころか」
「そんなには…なるか。
 そうだな、あんまり帰って来なかったからな」
「しかし変わったものだ。背も伸びた上に、肌まで黒くなっているから驚いたぞ。
 髪も色が変わっているようだが、染めているのか?」
「いや、特別に何かしてるわけじゃないんだが」
「ふむ。若白髪、というやつか」
「ちょっと困るんだけどなあ、いくら何でも若すぎるだろ」
「なに、若白髪は幸の象徴だ。
 そう思えば、その変化も悪いことではあるまい」

 かんらかんらと笑う一成。
 学生のころから堂に入っていたが、今は風格というか威厳みたいなものまで出てきていた。
 これも修行の成果、というヤツなのだろうか。

「変わったって言うなら、一成も変わったな。
 眼鏡はコンタクトにしたのか?」
「いや。お山で修行を始めてからというもの、あまり読書の機会がなくてな。
 なにしろ、小坊主よろしく雑用ばかり当てられているものだから、最近は写経以外では眼鏡が必要ないのだ」

 道理で筋肉質になっているわけだ。
 極度の近眼ではなかったのだし、生徒会や学業で目を酷使しなくなったことから視力も回復しつつあるのかもしれない。

834 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 22:59:04

「しかし、水臭いな衛宮。
 墓参りに来たのなら、お堂に声をかけてもよいだろうに」
「かけたぞ、俺。
 でも誰も居なかったみたいで、返事がなかった」
「む…おかしいな、留守役が居た筈なのだが」
「お互いに間が悪かったんだろ。
 でもこうやって会えたんだし、結果オーライだな」
「それも然り、だな。
 ときに衛宮よ、おまえはもう帰るのか?」
「ああ。藤ねえがそろそろ腹を空かしてるころだし。
 一成はこれから墓の手入れか?」

 一成の手には桶に入った水と雑巾。
 これから始めると終わる前には暗くなりそうだ。
 いくら一成が寺の子だとはいえ、夜の墓掃除というのはちょっとばかし冒険だと思うのだが。

「……うむ。そろそろ、総一郎兄の命日が近いからな」
「―――――」

 一成は目を伏せて言った。
 声は低い。

 ……葛木総一郎。
 柳洞寺に下宿していた人で、穂群原学園の教師をしていたから俺もよく知っている。
 一成はえらく葛木先生を慕って、目標にしていた。
 その葛木先生が死んだのは五年前の冬。
 寺の裏の林で滅多刺しにされていたのだという。
 後始末にやってきた聖堂教会の神父から、恐らくは聖杯戦争に巻き込まれたのだろうと聞かされた。

 ――俺は犠牲者を出したくなかったから、あの儀式に加わった。
 死なせてしまったのは慎二だけだと思っていたから、葛木先生の死を聞かされたときには衝撃だった。
 葛木先生は魔術に関係もなく、普通に暮らしているだけの人だったのに殺された。
 それは忘れられることではない。

 一成は無論、魔術師同士の争いに巻き込まれたのだなんてことを知りはしない。
 表向きには事故死になっていた筈だ。

「すまんな、そういう訳で俺もあまり時間がない。
 茶を勧めて、昔話でも一献望みたいところだが、それはまたの機会としよう。
 もっとも…次はもっと早く帰ってきて欲しいものだが」
「そうだな。また――帰ってきたら、今度は連絡してから来る」
「うむ。
 俺もそのときは全霊を以って時を作ろう」

 一成は、ぐっと力強い笑みを浮かべた。
 昔はもっと華奢な笑みをしていたけど、今は豪胆で心強い。
 もう一人の目標だった零観さんに似てきているのか。

「では息災を祈っておるぞ、衛宮」
「おう、ありがとな」
「はは。その物言いは昔と変わらんな。
 中身は変わっていないようで安心したぞ」

 一成と別れ、山を下っていく。
 一度だけ振り返って見た一成の背中は、記憶の中のものよりもずっと広かった。

835 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 23:00:03


:::::夢の中:::::

 久しぶりの衛宮邸での夕食に満足したようで、藤ねえは魂が抜けたようにくつろいでいた。
 あまり準備もしてなかったので大したものは作れなかったのだが、ああも喜んでもらえるとこっちとしても嬉しい。
 なので、食後のお茶をサービスしているところなのだった。

「どうぞ、お客様」

 音をたてずに、湯のみを置く。
 気分も乗っていたので、倫敦で培った配給技術を駆使してお茶を出したのだ。

「うむ、ご苦労。その慇懃無礼な感じがグーよ」

 姿勢を正してお茶を受け取る藤ねえ。
 どうもでいいが、無礼なのにグーだというのは如何なものだろうか。

「そういえばさあ、士郎は召使いさんをやってるのよね」
「む、召使いじゃないぞ。
 執事クラブには入っていないけど、雇い主には一応執事として扱われてた」
「むむむ…何か違うの?」
「執事には歴とした地位があるんだ、向こうでは。
 ハウスメイドとかフットマンとかを束ねて、お館の仕事を円滑に進めるのも執事の仕事なんだよ」
「ふーん。じゃあ、偉いんだ。
 士郎が館中の人の上司になるなんて、お姉ちゃんも嬉しいわー」

 感慨深く、かどうかは判らないが、うんうんと頷きながら藤ねえは茶を飲み下した。

 …まあ、実を言うと俺には部下なんて多いときでも二、三人しか居なかったんだが。
 そもそもルヴィアのような貴族が、俺みたいなやつを雇い入れる時点でかなり緊急事態なのだ。
 遠坂との抗争を続けるうちに執事さんやメイドさんが逃げ出しちゃったので、遠坂にもルヴィアにも魔術にも耐性のある俺に白羽の矢が立ったに過ぎない。
 相当な高給を餌にしていたのにも関わらず、誰も求人に応じなかった上、魔術教会・執事クラブのどちらも紹介に及び腰だったのだから、二人の威名は推して知るべしである。
 どこにもなり手が居ないので、金銭的にかなり困っていた俺が渡りに船と働きに出た訳なのだった。
 ……遠坂がすごい怒ってたなあ、あのときは。
 お給金の話になった途端に沈黙したけど。

「あ、そうだ。
 オトコが遊びに来るから、それまで帰るなって言ってたわよ」
「ネコさんが?
 でも休業中らしいじゃないか、コペンハーゲンは」
「んー、おじさんが入院中だからね。
 なんだか病院と家を往復してるらしいわ。でも、配達は一応やってるみたいよ。
 家に帰ったらちょうどオトコが来ててさー」
「そりゃ、俺もネコさんには挨拶しときたいけどさ。
 でも予定あるから、明後日には発たないといけないし」
「会えなかったら会えなかったで仕方がないでしょ。
 オトコだって今は大変なんだし、無理は言わないわよ。
 お茶、ごちそうさまー」

 ごろん、とそのまま横になる藤ねえ。
 畳の上で水飴のように伸びきっていた。
 だらしなさの極みである。

「気持ちいい~。
 ここでごはん食べるの、随分ひさしぶりだったもんねー」
「気持ちいいのはいいけどさ。
 そろそろ帰らなくていいのか?」
「ん、もうちょっとしたら帰るから大丈夫ー」

 藤ねえは、うつ伏せのままでひらひらと手を振った。
 本人がそう言うんだから、大丈夫なんだろう。
 藤ねえだっていい大人なんだし、このまま眠っちゃうようなことは―――

「すぴー、すぴー」
「…………おい」

836 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 23:01:50

 さて。
 果たしてというか、なんというか。
 結局、藤ねえは泊まることになった。
 昼の間に部屋の掃除をしておいたのが幸いだったのか、あるいは仇となったのか。
 ともあれ藤ねえは、奥の部屋で布団にくるまって、鼻息を響かせながら眠っている。

 労働が一段落したところで、俺は腰を下ろし、壁にもたれかかった。

 かすかな音に外を見やると、雨が窓硝子を叩いていた。
 雨粒はまばらだが、すぐに止みそうにはない。

 窓を開けて、俺はそれを見ていた。
 夜闇の中で照らされた雨粒が、斜線のように現れては消える。
 冬の冷気は体から容赦なく熱を奪っていく。

 何となしに考えていた。
 どれだけの雨が降っているのだろう、と。
 どうして雨が降るのだろう。
 俺には、どのくらいの雨が見えているんだろう。
 どのくらいの雨が、俺の見えない世界で降っているんだろう。

 答えが判ることのない問い。
 考えていても、雨粒が落ちなくなるわけじゃない。
 水の雫を落としたくないのなら、自分で受け止める以外にはないのだ。

「…そろそろ、寝ないとダメだな」

 体が重い。
 久しぶりの真っ当な食事でほっとして、溜まっていた疲労が噴出したようだ。

 布団を被り、瞳を閉じる。
 久しぶりの心地よさに、俺はすぐさま眠りに落ちた。
 今日は見ることの出来なかった夜の空。
 そこに浮かぶ星の輝きを心に抱いて――



 目前を銃弾が飛び交っていた。
 土煙が舞い、硝煙の臭いが鼻を刺す。

 これは夢だ。
 でも現実に、こんな光景はあった。
 視界の端で血を吹いて倒れ伏した子供も、確かに現実に存在していたのだ。
 あの子の母親がどんな顔で我が子の死を嘆いたかも覚えていた。

 忘れる筈もない。
 そのときから俺は、魔術師であろうとすることを捨てたのだから。

 ―――魔術さえ使えれば。
 何度となく、そんな場面に出会った。
 その度に胸の裡で理性と感情が葛藤した。

 そんな葛藤を捨て去ったのが、一年前のことだ。
 魔術を習い始めたときから、俺にとっての魔術は隠すものではなく、誰かのために使うものだった。
 だから一度、禁を破って魔術を使ってしまえば、それが自然なことにすら思えたのだ。

837 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 23:03:16

 当然、それは遠坂を怒らせた。
 黙ってあの場所へ出かけていたこともだが、何より魔術を衆目の前で使ったことを遠坂は怒っていた。
 身を守るためではなく、無関係で神秘を知りえない人々を助けるために使ったことを。
 助けたこと自体を怒っていたのではない。
 魔術を秘匿しないということは、すなわち俺への魔術師たちの敵意を剥き出しにさせること。
 それを遠坂は怒ったのだ。

 遠坂が心配してくれたのは嬉しかった。
 だからこそ、俺は遠坂から離れることにした。
 俺が側に居れば、遠坂も聖堂教会と魔術協会の敵になりかねないからだ。

 そう告げた次の瞬間に、遠坂は特大のガンドを撃ってきた。
 続け様に、数年前の俺なら死んでいるだろう魔術を連発された。
 実際に魔術が直撃した家は崩れ落ちてしまったのだから、遠坂はかなり本気だったのだろう。
 結局、遠坂とはそのまま喧嘩別れになり、俺は倫敦から離れた。

 ルヴィアのときはもっと困った。
 俺が倫敦を離れた次の日に、どうやってか知らないが、後を追ってきたのだ。
 魔術で畳み掛けられたときも困ったが、ルヴィアが困っていることに俺は困った。
 ルヴィアはどうにかして止めさせようとして、手八丁口八丁で俺を説得しようとした。
 真摯で真正面からの言葉だった。
 だから余計に辛かった。

 誰一人傷つかないなんてことはないのだと、ルヴィアは言った。
 その理想を追えば追うほど俺が傷つくのだとも。
 ルヴィアの言っていることは正しい。
 それは今もあのときも、そう思っている。

 遠坂が言ったことも正しい。
 魔術協会も聖堂教会も敵に回すことは、俺にとって賢明な行為とはいえない。
 むしろ自殺行為なのだと理解している。

 だけど、俺は決めたのだ。

 ―――あの輝ける騎士王のように。

 たとえ、その先に避け得ない破滅が待っていても。

 ―――最期まで、その誇りを守り続けるのだと。

 それでも、この道を往くと決めた。
 切嗣の果たせなかったユメを、俺が叶えるのだと決めた。
 朝陽が黄金に照らした、あの別れのときに――そう、決めたのだ。

 たとえ、一笑に付されるようなユメだとしても、その想いは間違いではない。
 走り続ければ、必ずいつかは届くと信じている。
 誰もが悲しまずに済む、その世界へ。
 その確信は、一度だって揺らいだことはない。

838 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/11(木) 23:04:11

 ―――なのに、

“おまえが気取る正義の味方とは、ただの掃除屋だ”

どうして、

“誰が何をしようと、救われぬ者というのは確固として存在する”

 こんな声が、

“おまえは、おまえが救いたいと思う者をこそ、絶対に救えない”

   頭に、

“―――――おまえの理想で救えるものは、おまえの理想だけだ”

  焼きついてるんだろう――?


 助けられなかった人がたくさんいた。
 次はもっと助けられるようにと、他の少数を見殺しにした。

 救われない者は必ず存在する。
 それでも、続けた。
 次はもっと多くが助かるように、もっと少ない犠牲で済むように。

 続けた。
 切り捨てた。
 ときには――殺した。

 そこに迷いなんてない。
 そうしなければ、もっと多くが悲しむから。
 だから、迷いなんて、ない。

 ――不意に、闇に投げ出された気がした。

 どれだけ手足を動かそうとも、触れる物は何もない。
 恐ろしいまでの浮遊感。
 この世の全てから、見放されたような。

 だというのに、何かが迫ってきていることだけを感じる。
 何も見えない。
 何も触れない。
 何も、どこに何もありはしない。

 けど何故だろう。
 ただ鼓膜だけには、かつてどこかの言葉が響いていた。

 1:“それでも……一度も振り返らずにその理想を追っていけるか――”
 2:“おまえ――馬鹿だけど、いい仕事するじゃん”
 3:“ならここで待ってるから、すぐに帰ってきてね――”

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最終更新:2007年10月22日 20:41