860 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/12(金) 09:11:42
“おまえ――馬鹿だけど、いい仕事するじゃん”
何がそんなに可笑しいのか、嬉しそうに笑う少年の姿が、今でも脳裏に浮かんだ。
俺の愚かさをまじまじと見つめ、そしてそれを善しと笑った親友。
思えば――あいつが衛宮士郎を理解した最初の他人だったのかもしれない。
間桐慎二。
あいつはよく笑ったし、俺もよく笑った。
俺を褒めることなんてなかったが、それでもあいつは俺を否定していなかった。
俺もあいつが好きだった。
だが、俺たちを取り巻く状況はあるときから一変した。
それに後悔はない。
知ってしまった以上は、それまでのようにあいつと笑い合うことは出来なかったのだから。
あいつが何故、あんなにも転がり落ちていったのかは今でも解らない。
魔術師という存在に執着したのは、どうしてだったのだろう。
俺はあいつが好きだったと思う。
桜への仕打ちも、マスターとして凶行も許すことはできない。
でも、俺はあいつが好きだったのだと思う。
だからこそ解らなかった。
何故――慎二は日常の中で生きることを是としなかったのか。
慎二の死は仕方が無かった。
マスターとして、魔術師として聖杯戦争に臨み、無関係な人々を傷つけた。
殺し合いの場、その舞台に上がったからには自身の死を受け入れなくてはならない。
……あいつは、俺の持っていない家族(もの)を持っていた。
なのにどうしてだったのだろう。
幾ら考えても、答えは出ない。
だから、きっと――俺はあいつを忘れない。
それだけしか、俺には出来ないのだろう――――
861 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/12(金) 09:13:39
:::::空の下で:::::
玄関の戸を開けて、その男は必ずそう、声をかけた。
“ただいま、士郎”
懐かしいその声に、俺は跳ね起きた。
あり得る筈のないこと。
それでも目を開ければ、そこに爺さんが待っているような気がしてしまっていた。
爺さんの代わりに待っていたのは、朝のかすかな陽光に照らされた自分の部屋。
昨夜の雨は去り、薄雲から光が漏れている。
それがやけに、眠りから覚めたばかりの目に眩しかった。
……切嗣が居る筈などなかった。
自分の弱さが幻を聴いたのだ。
この期に及んで、俺は都合のいい幻を望んでいたというのか。
「…くそ」
顔を洗って鏡を覗き込んだ。
情けない顔だ。
まるで昔の自分に戻ってしまったようだった。
腹が立って、自分の顔を叩く。
気持ちがいいくらいに、音が木霊した。
こういうときは体を動かすに限る。
じっとしていると、体の中に不安が溜まってしまう。
動いてさえいれば、為すべきことさえあれば、不可解な不安に苛まれずに済むだろう。
「――士郎。朝から動き回ってるけど、大丈夫?」
朝食の片付けを終え、中庭のゴミを片付けていると藤ねえから声がかかった。
藤ねえは縁側で頬杖をついて食後の休息をとっている。
「別に大丈夫だよ。
明日には発つから、家の事をやっときたいだけだ。
その辺りは、全然藤ねえを頼りに出来ないからな」
「ふーん。なら、いいけど」
そのままの呆けた顔で、藤ねえは俺が忙しなく動くのを見ていた。
心配してくれるのは有り難いけど、もう無用なことだ。
噛み合わぬ不安は、動き続けているうちに遠のいている。
そう、これでいいのだ。
不安はいずれ消えるに違いない。
この感情は踏み切る前の最後の逡巡。
家から離れる前に、少し里心がついただけのこと。
衛宮士郎は、そんなものに立ち止まっていられないのだ。
だから、これでいい。
気づくと道場の掃除も終わっていた。
昔から手入れを欠かさなかっただけに、今でもすぐに綺麗になった。
それが少しばかり誇らしい。
少しずつ高くなる太陽が、天窓から明かりを下ろしている。
床板は陽光を照り返し、白く輝く道場を茫洋たる世界に感じさせた。
その幻想的な雰囲気に呑まれたからだろうか。
ふと、いつかここで剣を振るっていた日々を思い出した。
決して忘れ得ぬ、かけがえのない思い出を。
……次に誰がここを使うのはわからない。
でも、それは俺じゃないことだけはわかっていた。
道場を一歩出て、くるりと回れ右。
胸を覆うのは、言い知れぬ郷愁。
それを振り切って扉に手をかける。
どうか――ここが、その人にとってもよき思い出の場となりますように。
未練を残さぬように、深く頭を下げた。
862 名前: 五年後にて ◆dJsTzPZ4UE [sage] 投稿日: 2007/10/12(金) 09:15:42
茶を淹れて居間に戻ると、藤ねえが手荷物を纏めていた。
「もう帰るのか?」
「うん。今日は行くところがあるし、着替えないと汗臭いしねー」
藤ねえはころころと笑う。
以前はよく泊まっていたが、着替えが準備してあった、というより箪笥の一つが藤ねえ用だった。
どうやら今は、着替えを俺の家に置きっ放しにしていないのだろう。
「ねえ、士郎はどっか行くの?」
「今のところ予定はない。たぶん、家にずっと居ると思う」
今朝方に聞いた話じゃあ、一成は別の寺へ出ているというし、桜や美綴も学業の方が忙しいらしい。
ネコさんも都合がつくか判らない。
会える知り合いが居ないのだから、商店街に行くぐらいしか用事はないだろう。
中庭の手入れをしっかりやろうとすれば、今日一日は簡単につぶれてしまうだろうし。
「ふーん。
じゃあ、士郎。今日、一緒に来ない?」
「…? どこへさ?」
「今日、切嗣さんのお墓参りに行くの。
本当は昨日の予定だったんだけど、士郎が帰ってきてからにしようと思って」
「――――そっか。
……そういえば、昨日が切嗣の命日だったんだな」
切嗣の墓は、柳洞寺にある。
裏手の奥まった先にある墓地の、その片隅に隠れるようにして作られたのだという。
伝聞としてしか知らないのは、俺が一度もそこを訪れることがなかったからだ。
会うのが嫌だった訳じゃない。
ただ――俺にはまだ、親父に告げることが何もなかったのだ。
「いい加減、士郎も行く気になるかなーって思ったのよ。
まだ一度も切嗣さんに挨拶してないでしょ?」
そういえば、藤ねえが俺を墓参りに誘ったのはこれが初めてだ。
俺が行かないだろうと判っていたのか、今までは誘うことがなかった。
藤ねえは小さく笑みを浮かべて、俺を見ていた。
思い返してみれば、俺の変化に誰よりも早く気づくのはいつも藤ねえだった。
もしかしたら――この人はわかっているのかもしれない。
俺がもう戻ってくるつもりがないことを。
「――どうする? 士郎」
藤ねえは重ねて訊ねた。
これが、切嗣に会う最後の機会だろう。
けど、告げるべきことは少ない。
胸を張って言えるようなことなんて一つもない。
切嗣に叶えると誓った理想は、まだカタチも出来ていない。
――それでも、俺は切嗣に会いに行くべきなんだろうか?
1:一緒に行く。
2:行かない。
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最終更新:2007年10月22日 20:43