244 :ファイナル ファンタズム ◆6/PgkFs4qM :2007/11/01(木) 22:49:46


 戸惑う俺をよそに、聞き慣れない、不快な音調が飛び込んできた。
 音源は、上。甲板だ。
 何も考えず、発作的に上へ通じる階段を上り、表に出る。
 寂しい木造の部屋を抜けたそこには———空一面に広がる闇と、真珠の如くきらめく緑色の月があった。そして穏やかな波の音と、肌を撫でる優しい潮風。
 ……不覚にも一瞬、自分が衛宮士郎であることを忘却の彼方へ見送ってしまう。慌てて自分を取り戻す。
 だが一見完璧に見えるこの空間には、しかし、不協和音を成すノイズが織り込まれていた。小さな小さな雑音。さっきから聴こえるこの音の正体は———。

「———莫耶」

 一人の少女が漏らした嗚咽だった。
 少女は俺の姿に気付き、慌てて涙を拭って、その場を取り繕うようにして笑みを浮かべる。それでも赤く腫れた目元は誤魔化せない。

「……どうした?」

 出来る限り優しく、穏やかに尋ねる。
 これ以上、少女を傷つけることがあってはならない。悲しみで歪んだ顔なんて、俺は見たくない。

「どうした、って……。別にどうもしないぞ。ただ寝付けないから夜風に当たりにきただけさ」
「そっか。気持ちいいよな、ここの風。丘の上じゃどうしても砂塵やら何やらの不純物が混じっちゃうけど、ここだと純粋な風が吹く。ひんやりしてて気分がいい」

 幾分かの呼吸を置き、無言に陥る。
 気まずい無言じゃない。お互い何も喋っていなくとも——それでいて心地よい空気。
 本来なら俺は見ちゃいけないものを見てしまったのかもしれないけど、それでもそれを全く感じさせない。全てを持っていってくれるこの風には、感謝するほかあるまい。
 ふと海面を見れば、魚が一匹跳ねた。
 ———覚悟を決める。
 俺自身はどうでもよかった。彼女がどこの誰であろうと構わなかった。彼女の出生が明らかになって、それで態度を変えるような奴じゃないって、最低限自分を信じている。
 それでも見てしまったのだ。彼女の涙を。
 ……さざなみが、沈黙を彩る背景と化す。
 いくら俺が鈍感と呼ばれようとも、彼女が普通の人間じゃないってことには薄々感づいている。彼女はいつも何かに追われていた。別段どこがおかしいとはいかないまでも、彼女はずっと憔悴していた。
 限界だ。自分を誤魔化すのは、止そう。いつも彼女の背後にあった『何か』をこれ以上見過ごすわけにはいかない。

「なあ、莫耶。教えてくれ、君は一体————誰なんだ……?」
「ん……」

 少女は固く口を結び…………一言、ぽつりと言葉を漏らした。

「…………言えない」
「そう、か」

 どんな言葉が返ってこようと受け止める覚悟をしていたが、それでもやはり否定の言葉には落胆を禁じ得ない。自然と息がこぼれ、肩の力が抜けてくる。
 そんな俺を見かねてか、少女は重い口をゆっくりと開いた。

「———私は」
「莫耶?」
「…… ある人と約束をしている。それが『私の身分を時期がくるまで隠し通す』ということ。その人は、恐らく生涯決して忘れることができぬであろう恩人……。名も知らぬ程度の関係だというのに、彼は……。最後まで私を守ってくれた彼に報いるためにも、この約束を破ることだけは絶対に許されないのだ……!」

 悲鳴にも似た声音で最後の言葉を紡ぐ。
 それはどのような感情が込められていたのか。
 一見、悲しみにも…………怒りにも、困惑にも、恐怖にもとれた。火影によって多くの表情を生み出す能面の如く。
 視線を交わすのが躊躇われ、行き場のない目線は宙へと舞った。先には爛々と輝く緑の月。
 少女の呟きは拒絶なのか。それともただ意固地になっているだけ?
 いくら頭の中で自問しても、答えは返ってこない。衛宮士郎の壊れた脳では答えは得られない。
 このまま無言を貫けば————。歩む道はいつも通り。少女と楽しく笑いあい、時にはふざけあいながら、満ち足りた日常を過ごすことになるだろう。彼女が言う『時期』とやらが来れば、いつかは俺にも話してくれる時がくるかもしれない。
 逆に。
 多少強引でも彼女から話を聞けば————。その先にあるものは光か闇か。そこから先は誰も知らない、暗闇に包まれた道を通ることになるだろう。何が起こるか知るすべは無いが……ただ、いつも通りの日常でないことだけは理解できる。
 例えどんな辛い困難が待ち受けていようとも、俺は躊躇わない。むしろそれで道が拓かれるのならば、喜んで身を投げ出す所存だ。
 だが俺が恐れているのはそういう話ではない。
 ————少女を手放してしまうであろう未来について、だ。

 俺は……。



Ⅰ:何も聞かない
Ⅱ:強引にでも聞く

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2007年11月15日 13:51