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斉藤和巳 - (2013/07/31 (水) 13:16:47) の編集履歴(バックアップ)


斉藤和巳

背番号66 リハビリ担当コーチ プロブロガー 投手

コラコラコラコラ~ッ!(`o´)
  • 色んな意味でレジェンドなお人で、今でも「エースと言えば和巳」と譲らない住民も多い。1995年にドラフト1位指名で入団。
  • ホークスファン内では、「吼えるピッチャー」と言えばこの人。コンスタントに140km/h後半を計時する最速152km/hのストレートと多彩な変化球、140km/h台のフォークが武器。

1996-2007(実働4年)
2003年 入団後故障等でなかなか結果を残せなかったが、
     前年4勝からいきなり大飛躍 20勝3敗で沢村賞
2004年 前年の活躍から一転、規定投球回に達した投手では
      プロ野球史上ワーストの防御率6.26を記録する(10勝7敗)
2005年 復活を遂げ、開幕15連勝、16勝1敗で最高勝率
2006年 投手5冠王、パリーグ史上初の2回目の沢村賞を獲得
     6月9日の巨人戦で杉浦忠以来42年ぶり準完全試合を達成
     打者27人を1安打に抑えた(内野安打を許した脇谷は牽制死)

主な獲得タイトル
最多勝:2回 (2003年、2006年)
最優秀防御率:2回 (2003年、2006年)
最多奪三振:1回 (2006年)
最高勝率:3回 (2003年、2005年、2006年) ※最優秀投手として表彰
投手五冠:1回 (2006年、プロ野球史上7人目)
表彰
最優秀投手:3回 (2003年、2005年、2006年)
沢村賞:2回 (2003年、2006年)
ベストナイン:2回 (2003年、2006年)
最優秀バッテリー賞:2回 (2003年、捕手:城島健司、2006年、捕手:的場直樹)
月間MVP:3回 (2003年6月、2005年8月、2006年8月)

援護率
2003年 援護率5.62
2004年 援護率6.73
2005年 援護率6.83
2006年 援護率4.85


  • 上記のように太く短い成績を残し、野球界全体に強いインパクトを残した選手。2006年CSで127球を投げたのを最後に宇宙人(notばっさん)に攫われた。以後は、何がどうしてこうなったのかブロガーやリハビリコーチとしての才能を開花させている。…のだが、2012年は春季キャンプに参加。夏には実戦復帰登板の可能性が示唆され、術後初めてバッティングピッチャーとして打者相手に投げるなど、野球chの注目を集めている。
  • 2013年7月、引退と退団を発表。今後は未定。
    鷹のエースとしてチームを牽引してきた功績はこれからも鷹ファンのみならずすべてのプロ野球ファンの心に残り続けるであろう。18年間本当にお疲れ様でした。

エピソード


  • 現鴎の的場とは同級生で、当時は城島が正捕手として地位を確立していたため「こんな時に入団するなんて運が悪いヤツ。でもこれも何かの縁や」と、自身の登板時には女房役に的場と決めていた。2006年2回目の最優秀バッテリー賞はその的場と。
  • 2003年以前から落合さんに著書で「二軍に物凄い選手がいる」と絶賛されたり、当時からレジェンドクラスだったダルビッシュに「来年は斉藤さんが復帰するから楽しみ」と言われたりしていた。しかしその来年どうなったかは(ry。未だに、この人の最盛期とダルの最盛期とではどちらがすごいかということで熱い議論がかわされるほどである。
    • 2012年にメジャー移籍を決めたダルビッシュが、会見でも名前を出している。
(NPB在籍7年間で一番印象に残っていることは?と訪ねられ)
ダル「自分が投げた試合ではないですが、06年のプレーオフ(対ソフトバンク)。斉藤和巳さんが投げていて、サヨナラの場面。9回裏の先頭打者のひちょり(森本)さんがフォアボールで出た場面、それはよく覚えています。
ベンチ裏の陰から見ていて、すごい声援で、斉藤さんが雰囲気に圧倒されて、確かストレートのフォアボールだった。

こんな大投手でもファンの声援には勝てないのかと思った。
そこからより強くファンのためにと思うようになった。
今でも声援のすべてを覚えています」
  • 小久保のことを大変尊敬している。ちなみに小久保が今までで一番印象に残っているホームランは、巨人に移籍した後の交流戦で斉藤和巳から打った時とのこと。
    • 2012年5月22日には小久保2000本安打達成の瞬間を見届けようと、試合を現地で観戦する姿がテレビに映る。もちろん、久々の登場にたかせん民騒然。
    • 2000本安打達成はヤフドで行われたこともあり、しっかり観戦している姿が再度映った。
  • 2011年オフには長谷川と同日に女性タレントと再婚したり、同期のが引退して戻って来る事態に。同期が再びそろってグラウンドに立つ姿が再び見られるかもしれない(雁ノ巣で)。
  • 元燕の石井弘寿とはリハビリ仲間で、彼の引退の報せに意志を継いで自分は諦めないと語っている。ほぼ望みは断たれているが、それでもひょっとしてが叶うならたった一球でも投げているところを見たい、泣く準備はできているというのがたかせんの総意。今や体脂肪率が一般人並だという本人談に突っ込んではいけない。
  • よくスレなどで使われている「コラコラコラコラ~ッ!(`o´)」の組み合わせを実際に本人が使ったことはない。
  • 同様に、「でも、それを含めて “俺”やから…!」ネタは、リハビリに向けて頑張っている自分を鼓舞だとかではなく、ブログ記事で漢字を間違えたことに対する弁解である。
  • コーチとしての才能はまだ未知数だが、新垣岩嵜に投球アドバイスした話が散見されている。
  • 福岡出身のバンド・ビーグルクルーは、この人のブログ登場より知名度アップ。選手の何人かは彼らの歌を登場曲に使用している。