小川史
背番号74 二軍内野守備走塁コーチ
- 名前の読みは「ふみ」ではなく「ひろし」。
- 身長は170cmと小柄であり、大石コーチに続き2代連続小さいヘッドコーチ誕生となった。今宮ガタッ
- 二軍監督の小川監督は同姓であり、間違われやすいが別人である。
- 千葉県浦安高卒業後、1979年に西武に入団。1983年からは南海ホークス、後のダイエーホークスに所属し1996年に引退した。弁が立つことから、ダイエー時代には選手会長も任されている。
- 現役時代は内野手で、 森脇浩司(ひろし)・湯上谷宏・ 藤本博史と 全部漢字が違う「ひろし」 と共に内野を守った事があり、そのフォーメーションは「ひろしカルテット」と呼ばれた。
- 背番号の変更が大変多かった選手で、特に秋山監督には、西武時代、ホークス時代と2度も背番号「1」を剥奪されている。小川ェ。2011年からは、そんな秋山監督が指揮する下、3軍監督に就任。これも何かの運命か。
- 引退後は檻のコーチを一年経由、楽天のスカウト業に就くなどし、2011年から三年間ホークスの3軍監督を務めた。
- 2014年シーズンからは一軍ヘッドコーチを務める。9月2日から総胆管結石のため離脱していたが、9日に退院すると13日にはベンチ入り復帰した。秋山監督退団に伴ってか、2015年シーズンからは配置が変わり、再び3軍監督をつとめる。
- 2016年シーズンから二軍内野守備走塁コーチとなる。
エピソード
- 秋山監督より2歳年上で、監督が西武に入団した当初、教員係として球団の規律などを教えていたらしい。秋山幸二に対する印象は、「言葉数は少なく。気は優しく力持ちタイプ」。巽・山田「」
- 現役時代のホークスでの応援歌は、浦安高出身という事もあってか「小さな世界」の替え歌が使用されていた。
最終更新:2025年04月14日 18:59