ウィリー・モー・ペーニャ
背番号55 外野手
(」・ω・)」ぺー!(/・ω・)/にゃー!
- ドミニカ共和国出身。スレでの呼び名は「ぺーにゃん」。
- チーム内での呼び名は「モー」「モーちゃん」。
- 1999年にヤンキースと契約。2001年にレッズに移籍し、翌02年9月10日のパイレーツ戦でメジャーデビュー。その後はレッドソックス、ナショナルズ、Dバックス、マリナーズと渡り歩くなどチームを転々としていたようだ。2012年よりホークスに加入した。入団当初の背番号は「8」。
- 第1回WBCにも出場している。
- 打つとにこにこ、打てないと巨体をしゅんとさせる愛くるしい男。
- 身長191cm、体重は118kgにして、体脂肪率は一ケタ。
- ヒットやホームランを放つと、観客席やベンチに向かって2回手をピストルの形にして突き出すパフォーマンスを行う。また、ホームランを放ち、ホームベースを踏む際には手をクロスさせ、DAIGOのウィッシュのようなポーズを決める。
- 守備力は、松中さんがとんでもなく上手く見えるレベル。危なっかしくキャッチ→ドヤ顔サムズアップを披露し、住民をヒヤヒヤさせたことも。
- 打席でペッとした時の唾の量が尋常ではないのが特徴で、それゆえ西武・銀仁郎からは「嫌だ」と思われているようだ。
- 外に逃げる変化球に弱いが、ほとんどのホームランを変化球で打っている。
- 打球速度がヤ・バ・イ。セカンドが飛び付こうとするような打球がフェンスまで転がる、相手投手が捕球しようとジャンプした時には打球が既にセンターに届く、ホームランを球場のカメラが追い損ねる、捕球のために前進するセンターの頭上を打球が越えるなど、怪奇現象が相次いでいる。他にもぽpフライがセンターフェンス手前まで飛んでみたり、低弾道でレフト前かと思いきやスタンドインしてみたりと、もうわけがわからない。
- 2012年5月17日の燕戦で、「実は芯で捉えた打球が少ない」ことが発覚。一人だけラビットみたいな打球を飛ばす漢。正真正銘のチートスラッガーである。また、体格からは意外なほど積極走塁を見せ、たかせん民を驚かせる一面も。
ホークス入団後
- 2012年1月29日が来日予定だったものの、予定の便に乗っていない事が発覚。まさかの行方不明報道に報道陣&たかせん民ビビる。が、2時間30分後に無事到着。乗り継ぎが上手くいかなかったのが遅れの原因だとか。
- 2012年オールスターにDHとして選出。ホームラン競争2戦目に出場すると、場外ホームランを連発(駐車してあった車がry)して見事優勝した。オメ!なお、本人はASで活躍して賞金を被災地のために役立てたいと事前に話している。実戦でも、広島のマエケンとニッコニコで勝負し、全国の野球ファンを魅了した。
- 2012年9月9日に本人談「(看板に当たらなかったから)ノーパワー」のヤフド最上段3ランを記録。何かがおかしい。その日のお立ち台に上がると離脱中の松田のヒロインパフォーマンスを披露した。曰く「マッチのためにやった。勝ち続けてCSに行けば戻ってきてくれると思う」とのこと。ペーニャ△。が、これは鳥越コーチの差し金で、本人は本当は「1、2、3、モー!」をやりたいらしい。か わ い い 。2012年序盤は3割近い打率を残し、夏場に若干成績を落とすも、日本野球に慣れてきたのか最終的には打率.280、21HRの好成績を残した。
- DH部門でベストナイン、『すぽると!』の「現役選手100人が選ぶこの選手が凄い!パワー部門」でも堂々の1位を獲得している。
- 2013年1月に背番号が「8」から「55」に変更となる。本人いわく「1ケタだと背中が寂しく見えるので2ケタ背番号がいい」という理由があったとの事。かわいい。
- 2013年シーズンは、車の運転も躊躇われるほどの右ひざ痛を抱えていたため、前年から一転、苦しむシーズンとなった。結局、低反発球を使用していた前年ほどの成績を残せず、また契約最終年だったこともあり退団となってしまった。しかし、その謎の愛らしさは球団外国人史上屈指のレベルであったに違いない。サンキューペーニャ。
- 2014年シーズンから、まさかまさかの檻に所属となった。守備位置はどうするのかなどなど今後も目が離せない。向こうでも頑張れ!
- シーズンに入ると去年苦しんだ右ひざ痛が回復したこともあって、来日初の30本塁打以上を放ち、檻のクライマックスシリーズ進出に貢献したものの契約交渉が上手くいかず、オフに自由契約となった。2015年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する。しかし怪我等や不慣れな守備についたことも重なり球団が求めるレベルの成績を残せず、同年オフに退団。
エピソード
- 家族は、奥さんのほか女の子が2人。
- 宮崎キャンプには、生後4ヶ月になる愛娘ブリアーナちゃんのために、おむつやミルクを持参する。
- 2011年シーズンに所属したアンソニー・レルーに続き、特徴的なあごひげを持つ。曰く「気分によって色を変えるよ」とのこと。
- 2012年5月6日には髪とあごひげを一部金色に染めて登場。解説の吉田修司「道路にしか見えない」チームメイト「アジャコングに見える」ぺーにゃん「アジャコングって誰?」
- 肉より、母国で多い魚料理や豆料理が好み。「野菜は苦手」というが現時点で日本食のストレスはないのだそう。
- 2012年春季キャンプ中の休日、夫人と娘を連れ中華料理店で昼食後、宿舎内のクレーンゲームに挑戦!先に遊んでいたピントが帰った後も粘ったが、景品ゲットはならず。その場の両替機を小銭切れで停止させる。ぺーにゃん曰く「100回はやったよ」とのこと。
- 来日して衝撃を受けたことはウォシュレットの存在で、トイレ中にiPadを利用して夫人と会話していた時に、ウォシュレットが起動してビックリ。何があったか尋ねる夫人に「誰かが俺のお尻を…!」と言ったとのこと。今ではお気に入りで、ウォシュレットを使いながらトイレで読書しているらしい。使いすぎィ!球団設置のトイレにも30分はこもるのだとか。
- 2012年4月3日、Kスタ宮城で会見を開き「日本に来る機会を頂いたので何らかの形で支援したいと思っていた。ホームラン数ということなので、できるだけ打って(被災地を)助けていきたい」と、本塁打数に応じて東日本大震災の義援金(100万円+α)を寄付することを発表する。ありがとうぺーにゃん。
- 日本で初ヒットを打った際には、記念ボールをベンチで嬉しそうに見せびらかす様子がカメラに抜かれた。
- インタビューで「ノー」と言うことが多いが、これはオーティズの発言に見られた「You,know」の省略形ではないかという見方がたかせんではなされている。
- 向こうで大家、石井一久からもHRを打っている。2012年4月8日獅子戦では、石井一久から飛距離130mの特大アーチを放ち、ひっそり日米被弾を成立させている。
- 2012年4月21日の楽天戦では、顔面近くに死球を受け緊張が走る。も、大人しく一塁に向かって一塁手フェルナンデス(※ドミニカ共和国出身)と談笑し、周囲を安堵させる。が、本当に恐ろしかったのはこの後主審に危険球の判断を仰ぎに、グラサン姿でポケットに手を突っ込みながらやって来た我らが監督の姿であった。
- 選手サロンのメニューの中でのお気に入りはフルーツポンチ。でも果汁はしっかり切る。
- 2012年は球団納会ゴルフ前に帰国するも、同コンペのために3Dテレビなどを景品として自腹で購入し、提供してくれた。
- フリー打撃練習にて、マリンスタジアムの照明灯(推定約150m)まで飛ばしたことがある。
最終更新:2015年11月01日 10:55