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鮫伏島の場合 > 3



『日没と日の出には必ず安全な場所に』

これは鮫伏島の一番大切なルール。このため島民は学校や仕事をかなり早く終える。『チェンジリングデイ』以降、島の稼ぎ手だった漁師全てが農業や他の業種に転職したのは不可避なことだった。
夜中の出漁はリスクが大き過ぎるのだ。荒れ狂う沖や高所、運転中の自動車内での意識交換がいかに危険かは容易に察しがつくだろう。意識が入れ替わる日の出と日没には、極力自宅で床にでも就いているのが望ましい。
そんなわけで短い午後の授業を終えた美香ちゃんは再び自転車に跨り、海沿いのなだらかな下り坂を家路につく。
騒がしい海鳥に潮の香り。そして、外周道路一番の急カーブを越えるとそびえ立つ白い灯台。この灯台を見るたび、美香ちゃんはいつも不思議な胸騒ぎに襲われる。
へんてこりんな生活、思春期の心と身体の変化。そして…何故か気になる龍彦のこと。そんな全てがちっぽけに感じて、大好きな故郷である鮫伏島と一緒に海と空に溶け込むような…

(…シゲ婆は、なにを見てたんだろう…)

島で最高齢だったシゲ婆。美香ちゃんたち蛸舟家の長老でもあったシゲ婆は、島民たちにとって『チェンジリング』が当たり前の日常になった頃に亡くなった。
そのほんの数日前、曾孫である美香ちゃんの身体に宿ったシゲ婆は、この立入禁止の灯台に登り、遥か水平線を眺めていたのだ。

(…綺麗だったな。あのときの、『私』…)

今日と同じ下校中、思えばあのときが初めて、『中の人』を直感で理解した瞬間だった。セーラー服を千切れそうにはためかせ、真っすぐに沖を見つめていた蛸舟美香…いや、蛸舟シゲ
何百年も変わらぬ海鳥の喧騒と逆巻く潮風。怖いほど青い景色のなかで、少女は毅然と海を睨んでいた。まるで悠久たる島の記憶を、押し寄せる波から読みとるかのように。
美香ちゃんが物心ついた頃から本家の縁側にちょこんと座っていたシゲ婆。眼も耳も遠くなり、会話もだんだん要領を得なくなっていた。

美香ちゃんが物心ついた頃から本家の縁側にちょこんと座っていたシゲ婆。眼も耳も遠くなり、会話もだんだん要領を得なくなっていた。
あの日、鮫伏島で九十年の齢を重ねたシゲ婆は、曾孫の若く溌剌とした身体のなかで、いったいなにを見、感じていたのだろう…

(…あれからすぐだった。シゲ婆が死んじゃったの…)

シゲ婆が危篤状態になった夜の暗い海も、美香ちゃんにとって忘れられぬ景色だ。重苦しい沈黙と共に公民館へ集まった全島民は、真夜中になってこの長老の訃報を聞いた。
折からの時化で荒れ狂う海原。陰鬱な波音が響くなか『入れ替わり』が始まって初めての死者を悼む余裕は誰にもなかった。
もしかしたら日の出と共に、自分は冷たい骸のなかにいるのではないか。黄泉路に向かうべきシゲ婆の魂は、日々誰かの身体を借りて永遠に地上へ留まるのではないか…
恐ろしい憶測を口に出せぬまま、全島民はいつしか固く手を握り合い、震えながら朝の光を待った。あの夜、ずっと龍彦の暖かい手が背中に触れていたような気がするのは、不安と睡魔が美香ちゃんに見せた幻だったのだろうか?
いや、一人っ子で幼い頃父親を亡くした龍彦の片手は空いていた。あの優しい温もりは確かに龍彦のものだった、と今も美香ちゃんは信じている。
そして、悲鳴と祈りのなかで迎えた日の出。あれほど張りつめた点呼はなかっただろう。結局、どの家族にも欠員は居らず、曙光が差し込む公民館大ホールに『シゲ婆』の魂も居なかった。死せる者はただちに『輪』から外れるのだ…

『なんてぇおもれぇ仕舞いやいたぇ…』(なんとも面白い最期だったよ…)

嵐の過ぎた夜明け、深い安堵の吐息をついた島民たちはようやくシゲ婆が遺していった言葉を思い出し、遅ればせながら溢れる涙で故人を偲んだのだった。


続く

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最終更新:2010年07月16日 19:12
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