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>そして、私はこう考えます。
>目には見えませんが、エルヴィンや死者達もその瞬間に立ち会っていたと。
今回の第120話「刹那」で、グリシャの記憶の中でグリシャとジークが地下室で会っていた、と受け取れる描写が出てきました。
エルヴィン・スミスの「仲間達は俺らを見ている」。
エレン・クルーガーの「後で誰かが見てるかもしれん」。
ヴィリー・タイバーの「そこで見ててくれ」。
これらの描写も、誰かがそこにいて自分達を見ている事を示しています。
これは私の「この世界はエミュレーションである」という仮説にも合致します。
この記憶の世界に、神のごとく、何時でも何処でも存在し、観察できる。
神はあまねく存在するわけです。
条件と場合によっては世界に介入もできる。
要は、『ドラえもん のび太の創世日記』に登場した、地球を作れる「創世セット」です。(元は地球セット)
私は「ハチとアリの伏線」を書いてきましたが、この作品には昆虫人の設定も出てきます。
ちなみに、第34話のサブタイトル『戦士は踊る』の意味は、おそらく蜂のダンスと「会議は踊る。されど進まず」を意味していると思います。
だから見開きの扉絵で、サブタイトルの上に描かれている巨人の肋骨が蜂の縞模様のように描かれている訳です。
『進撃の巨人』のキャラクター配置は『ドラえもん』も参考にしているかもしれません。
野比のび太=エレン?
源静香=ミカサ?(源氏なら源義経=ジーク?)
出来杉英才=アルミン?
剛田武(ジャイアン)=ライナー?(鎧の巨人)
骨川スネ夫=ベルトルト?(超大型巨人は骨は消費しない)