李乂 りがい
657-716
初唐の官人。李大智の子、
李尚一・
李尚貞の弟。字は尚真で、趙州房子の人である。進士に及第し、武后の時に監察御史となり、中書舎人・修文館学士となり、韋氏の変の時の緊急の詔の草稿は、多くが李乂が作成したものであったという。
太平公主が政務に干渉すると、李乂を自陣営に引き込もうとしたが、李乂は深く拒絶した。宰相の器と称されたが、紫微侍郎、刑部尚書で卒した。貞と諡された。兄弟で文名をなし、あわせて『李氏花萼集』二十巻をつくった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2023年10月29日 00:50