太平公主

太平公主

655-713
唐の公主。高宗武后の娘。高宗の末女に生まれて武后の寵愛をうけ、薛紹に嫁したが、その死後、武攸曁に再嫁した。策略に富み、常に則天武后の政治の相談にあずかり、則天武后の末年、専横をきわめた張易之張宗昌兄弟をたおし、中宗を即位させるのに力があった。武后政権の没落後、大打撃をうけた武三思が、姻戚関係から安楽公主を利用して中宗の皇后韋氏に接近し、安楽公主を皇太女として政権をにぎろうとし、710(景雲元)年事を急いだ安楽公主が、不貞の暴露をおそれる韋氏とはかって中宗を毒殺した。当時、太平公主と安楽公主との両派が対立し、韋氏が皇太后となり、温王李重茂をたてて則天武后の政事にならおうとするや、太平公主は相王李旦(睿宗)の子平王李隆基(玄宗)とはかって韋氏、安楽公主およびその一派を殺除し、睿宗を復位させることに成功した。公主は睿宗の皇親として権勢ふるい、712(先天2)年睿宗が玄宗に位を譲ると、玄宗との対立が激化し、翌年玄宗は、兵を率いて公主の一派をたおし、公主に死を賜わった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十三 列伝第八 高宗三女 太平公主
『旧唐書』巻一百八十三 列伝第一百三十三 外戚 武承嗣 従祖弟攸暨 攸暨妻太平公主

参考文献

『アジア歴史事典6』(平凡社,1959)

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最終更新:2025年02月18日 18:39
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