李逢吉 りほうきつ
758-835
中唐の宰相(在任816-817、822-826)。字は虚舟。
李玄道五世の孫。
李訓は従子にあたる。進士に及第し、中書舎人をへて宰相となる。対藩鎮では非戦派の代表格であったが、主戦派の
裴度と敵対し、そのため外任に出されて剣南東川節度使、山南東道節度使を歴たが、兵部尚書となり、裴度の代わりに宰相となった。専横をきわめ、宦官と結び、その配下の陰険な者を「八関十六子」と号した。
牛僧孺を引き立て、後の「牛李の党争」の一因をなした。宣武軍節度使として外任に出されたが、裴度が洛陽に出されると尚書左僕射として中央に復帰するも、すでに病のため致仕した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年01月16日 22:59