来子珣

来子珣 らいしじゅん

?-692
初唐・武周の酷吏。上書によって左台監察御史に任じられ、武后に獄の管理を任された。累進して朝散大夫、侍御史となる。劉行実を誣告して誅殺すると、その父親の劉伯英の墓を破壊した。遊撃将軍、右羽林中郎将に任じられたが、愛州に流されて、貶地で死んだ。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百九 列伝第一百三十四 酷吏 来俊臣 来子珣
『旧唐書』巻一百八十六上 列伝第一百三十六上 酷吏上 来子珣

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 來子珣(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%9D%A5%E5%AD%90%E7%8F%A3

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最終更新:2023年12月30日 00:15
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