周利貞

周利貞

656-719
盛唐の酷吏。字は正。崔湜の母方の従兄弟。武后の時に銭塘県の尉に任命され、神龍年間(707-710)初頭に侍御史に抜擢されたが、嘉州司馬に左遷された。敬暉桓彦範袁恕己らが武三思の殺害を謀って発覚すると、武三思についた崔湜によって摂右台侍御史に任じられて嶺南に急派され、敬暉・桓彦範・袁恕己を殺害した。広州都督となったが、収賄のため涪州刺史に左遷され、酷吏であったことから玄宗によって登用を禁止された。珍州司馬、夷州刺史に復帰したが、張廷珪の執奏によって官位の昇進を阻止され、辰州長史から邕州長史に貶され、梧州で死を賜った。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百九 列伝第一百三十四 酷吏 周利貞
『旧唐書』巻一百八十六下 列伝第一百三十六下 酷吏下 周利貞

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 周利貞(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%91%A8%E5%88%A9%E8%B4%9E

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最終更新:2023年12月31日 20:22
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