盛王李琦
721-764
盛唐の皇子。玄宗の第二十一子。母は
武恵妃。初名は李沐。開元十三年(725)盛王に封ぜられる。開元十五年(727)揚州大都督となる。開元二十年(732)開府儀同三司となり、名を琦に改める。天宝十五載(756)六月、安史の乱のため玄宗が蜀に行幸すると、広陵大都督、江南東路及淮南河南等路節度支度採訪等使に任じられた。広徳二年(764)薨じた。妃の武氏は、
武敬の娘で、
吉温の妹の孫。子に真定王
李償、武都王
李佩、徐国公
李俗、許国公
李係がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗三十子 盛王琦
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 盛王琦
外部リンク
最終更新:2024年01月01日 14:45