毛若虚
?-760
中唐の酷吏。絳州太平県(山西省襄汾県西)の人。人となりは残忍で、初め蜀川県の尉となったが、年はすでに六十余であった。
安禄山の乱に両京が回復されたのち監察御史に抜擢され、国用の不足を補うために、官吏を収賄の罪に陥れてその財産を没収し、それでもなお見込額に達しない場合には、その郷里や近親に割り当てて取り立てた。このため粛宗に認められて御史中丞に進んだが、上元元年(760)に罪を得て賓化県の尉に貶され没した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年01月02日 23:55