衛国文懿公主

同昌公主

849-870
晩唐の公主。懿宗の皇女。母は郭淑妃。大中三年(849)七月三日生まれ。懿宗がとくに愛した娘で、咸通九年(868)二月二日に韋保衡に降嫁した。広化坊の邸宅は極めて豪奢を誇った。咸通十一年(870)に薨去した。韓宗紹らに治療に当たらせたが効果なかったため、韓宗紹らを殺し、その親族三百人を捕らえた。懿宗は非常に悲しみ、自ら挽歌を、また俳優の李可及は『嘆百年曲』をつくった。祭儀物として金貝・寓車・廞服をつくり、これを火中に投じたから、民が争って燃えかすから宝を取り出した。葬列は数十里にもおよび、金を加工して俑をつくり、宝物は千を数えた。衛国公主と追贈し、諡を文懿とした。『新唐書』に伝がある他、『旧唐書』懿宗本紀 咸通十一年八月己酉条にもやや詳しい略伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十三 列伝第八 諸帝公主 懿宗八女 衛国文懿公主

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 同昌公主(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%90%8C%E6%98%8C%E5%85%AC%E4%B8%BB

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最終更新:2024年02月29日 21:16
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