慈恩寺
中国陕西省西安城の南約4kmのところにあり、唐の太宗李世民の皇太子李治(のちの高宗)が、648 (貞観22)年に母の文徳皇后の慈愛に報いるために長安の
進昌坊に造営した寺。もと隋の無漏寺の跡で林泉形勝の地を占め、10余院、1,897聞という広大なもので、大慈恩寺の寺額を賜わり、住僧として300人がおり、別に50人の大徳を請じてそれぞれの教義実践の指導者とし、またインドから帰朝した
玄奘を上座とし迎え、とくに彼のために寺の北西に翻経院を作り、仏典翻訳の事業を行なわせたので、玄奘新伝来の仏教の中心となっ た。玄奘の高弟窺規はこの寺で師から伝承した法相宗(唯識宗)を広め世に慈恩大師と称せられた。玄奘が将来した仏像、経典等をおさめるために建てた5層の塔は、長安年間(701-705)に高さ64mに達する7層塔に改修され、大雁塔(同じ長安の大薦福寺の塔を小雁塔という)と称せられ現在も存している。その第1層にある仏などの美しい線刻や、唐初の書家が書いた太宗撰の大唐三蔵聖教序と高宗撰のその序記の2碑石などは、よく盛唐文化の粋を伝えている。寺には呉道玄、尹琳、
王維らの絵もあり、現在は牡丹の名所でもあり、戯場の集まる所でもあり、唐代を通じて都第1の名寺として遊覧者も多く、進士の試験に合格した者は大雁塔に登って名前を記すことを名誉とした。845年の武宗の廃仏にも、この寺は保存されたが、 1068-77年の間と1227年に火災にかかり、重修され。 1550年前後に重修され、さらに最近中華人民共和国も修理をし、文化遺跡として保存に尽力している。もとより昔の大寺院のおもかげはないが、大雁塔に登って雄大な眺望を楽しむ遊覧者は少なくない。
最終更新:2024年05月04日 15:39