劉瞻

劉瞻 りゅうせん

?-874
晩唐の宰相(任870、874)。字は幾之。劉助の兄。進士・博学宏辞科に及第し、太常博士、翰林学士、中書舎人、河東節度使を歴任。咸通十一年(870)中書侍郎・同中書門下平章事(宰相)となる。同昌公主が薨去して、懿宗が太医の韓宗紹を処刑して一族数百人を獄に送り込むと、諌めたため怒りを買い、宰相を罷免されて検校刑部尚書・同平章事、荊南節度使となり、路巌韋保衡の讒言によりさらに康州刺史に貶された。僖宗が即位すると康州・虢州の二州の刺史に遷され、乾符元年(874)刑部尚書、中書侍郎平章事(宰相)となるも、宰相の位にあること三カ月で卒した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百八十一 列伝第一百六 劉瞻
『旧唐書』巻一百七十七 列伝第一百二十七 劉瞻

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 劉瞻(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%88%98%E7%9E%BB

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最終更新:2024年04月26日 08:40
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