裴巽 はいそん
672-726
盛唐の官人・駙馬。裴思進の子。河東裴氏東眷裴の出身。中宗の娘の義安郡主(
宜城公主)を娶ったが、裴巽を美妾を納れたため、公主が怒って裴巽の髪の毛を切り、妾の耳鼻・陰部を割いたため、公主は封を降され、裴巽の官職を鄜州刺史に左遷させられた。衛尉卿、鴻臚卿、許州刺史、鴻臚少卿、光禄卿を歴任。譙王
李重福が叛乱をおこしたとき、裴巽の家を宿とした。公主が薨ずると、睿宗皇女の
薛国公主と再婚した。子に
裴斉閔・
裴斉丘がいる。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年04月03日 20:46