和逢尭 かほうぎょう
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盛唐の官人。岐州岐山県の人。「伊尹負鼎」の故事にならって、武后に料理人として仕えるべく鼎を背負って宮中に現れたが、かえって荘州に流された。進士に及第し、監察御史、御史中丞となり、突厥の黙啜可汗の使節が来た時に鴻臚卿を兼任した。勅書の目録と異なった鞍を贈ったことについて、突厥側から抗議がきて決裂の危機に到った際、巧みな弁舌によって危機を免れた。戸部侍郎に抜擢されたが、
太平公主と親しかったのに連座して、朗州司馬に貶され、柘州刺史で終わった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年04月18日 18:46