張仲方 ちょうちゅうほう
766-837
中唐の官人。張抗の子。
張九皋の曾孫。政治的には牛李の党のうち、牛派に属する。進士・博学宏辞科に推薦され、集賢校理、監察御史、倉部員外郎となるも、
呂温らが宰相の
李吉甫を弾劾したのに連座して、金州刺史に左遷された。李吉甫が卒すると諡で議論をくりひろげ、遂州司馬に貶された。河南少尹、鄭州刺史、諌議大夫となる。左散騎常侍となるも、
李徳裕が宰相になると、再度罷免され、常侍を拝命した。大和九年(835)十一月の甘露の変の際に、四宰相・御史中丞・京兆尹が全員殺害されると、宦官によって京兆尹に任じられたが、李派の新宰相
鄭覃によって一か月後に罷免された。鄭覃は世間体を取り繕うため張仲方を中書侍郎に任ずるよう上奏したが、
文宗に行政手腕の実績なしとして却下された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月12日 23:32