張九齢

張九齢 ちょうきゅうれい

673-740
玄宗朝の宰相(在任733-736)。韶州曲江(広東省曲江県)の人。字は子寿、博物。諡は文献。世に曲江公という。曽祖張君政は韶州別駕、父を張弘意といい、門閥的背景がなかったが、幼少より秀才の誉れ高く、嶺南に流されていた科挙官僚の代表的指導者張説に認められた。中宗景竜(707-710)年間、進士に登用され、張説が中書令となるにおよび、723(開元11)年中書舎人を拝した。張説没後の733(開元21)年中書侍郎同中書門下平章事となって翌年中書令にうつったが、ときに張説の反対派で門閥貴族出身の李林甫(唐高祖の従曾孫)が礼部尚書、同中書門下三品となり、張九齢とともに宰相の任についた。当時、張九齢は選挙出身官僚の地位擁護のため、李林甫に対して非妥協的な態度をとったので、両者は激しく対立し、736(開元24)年張九齢は李林甫のによって宰相をやめさせられ、荊州大都督府長史に左遷された。死後荊州大都督を贈られた。張九齢は少年時代に伝書鵲を養ったと伝えられ、また朝にあって早くから安禄山を除くべきことを説き、のち玄宗がその先見を称したというが、文学史のうえでも、陳子昂についで詩の復古に力をつくしたので名高い。その集に『唐丞相曲江張先生文集』20巻(『四部叢刊』1所収、『曲江集』「張九齢集』ともいう)があり、そのほか『千秋金鏡録』5巻の著および編纂に関係したものに『朝英集』3巻がある。『新唐書』58芸文志には、『張九齢事跡』1巻という書を伝えている。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百二十六 列伝第五十一 張九齢
『旧唐書』巻九十九 列伝第四十九 張九齢

参考文献

『アジア歴史事典6』(平凡社,1960年)

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』張九齢
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E4%B9%9D%E9%BD%A2

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最終更新:2024年12月31日 16:06
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