元載 げんさい
?-777
唐の代宗朝の寵臣・宰相。鳳翔・岐山(陝西鳳翔県)の人。字は公 輔。玄宗の天宝年間(742-756)の初め、荘・老・列・文四子の学によって進士の第に入り、新平の尉に補せられた。粛宗の時代に、ときの実権者
李輔国の妻が、元載の一族の出身であるところから、その縁によって重用され、代宗がたつと、中書侍郎・許昌県子を授けられ、ついで天下元帥行軍司馬をつかさどった。そこで彼は李輔国を暗殺させ、帝に寵のあった宦官を買収して帝にとり入り、次に帝の内意を得て天下に驕横の勢をはっていた
魚朝恩を殺して、もっとも帝の信愛をえた。おごりたかぶった元載は、諸子をつかって貨殖に努め、都の南北に邸宅を造り、郊外 には別業をつらね、集めた美女名妓は禁中も及ばないほどであった。李少良が上書して元載の行ないを弾劾すると李少良を罪におとして殺し、かえって帝の怒りをうけて族滅した。
参考文献
『アジア歴史事典』3(平凡社,1960)
最終更新:2024年05月04日 21:17