李輔国 りほこく
704-762
中唐、
粛宗時代の宦官・権臣。本名は李静忠、のち李護国、ついで李輔国と改めた。諡は醜。閑厩馬家の出身で、幼少のとき閹となり、書計・畜牧にすぐれ、初め
高力士に仕え、安史の乱に皇太子(
粛宗)に随従してその信任を得た。粛宗が即位して太子家令、判元帥府行軍司馬に任ぜられ、757(至徳2)年、開府儀同三司を加えられて権勢をほしいままにした。粛宗の危篤のさい、
張皇后が彼を除こうとはかっているのを知り、 皇后を殺して
代宗をたて、擁立の功をたのんで専横をきわめた。しかし代宗は彼をいかんともしえず、尚父といって政治のすべてを任せたが、762(宝応元)年、刺客を送って彼を暗殺した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2024年08月30日 02:01