魚朝恩

魚朝恩 ぎょちょうおん

722-770
中唐の宦官・権臣。瀘州瀘川県(四川省瀘州市)の人。天宝年間(742-756)給事黄門となり、李光進の監軍を経て、三宮検責使となる。左監門衛将軍知内侍省事となり、観軍容宣慰処置使となる。李光弼ら九節度使の軍が安慶緒を包囲したが、監軍として軍事に干渉したため、大敗を喫した。広徳元年(763)吐蕃の侵攻を受けて代宗が長安より逃亡すると、代宗を迎え、天下観軍容宣慰処置使となり、麾下の将軍が各地で勝利したため、勲功があがり、禁軍を掌握して朝廷随一の権勢者となった。そのため安史の乱第一の勲功者郭子儀を陥れようとした。その権勢を嫌った代宗の意を受けた宰相元載に政変を起こされ、絞殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上 魚朝恩
『旧唐書』巻一百八十四 列伝第一百三十四 宦官 魚朝恩

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最終更新:2024年08月17日 01:42
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