李思安 りしあん
?-912
唐末・五代の武将。
朱全忠の部将。陳留張亭里の人。朱全忠が汴州を拠点にすると、名を思安と賜り、字を貞臣とした。軍功によって諸軍都指揮使、検校左僕射、亳州刺史となった。勇敢であったが、軍を率いると大勝できなければ、必ず大敗した。開平元年(907)、幽州を攻撃して勝利し、次に潞州の
丁会を攻撃するも勝てず、兵士を多く失ったから朱全忠の怒りを買い、官爵を奪われた。乾化元年(911)相州刺史となった。朱全忠が北征の際、相州で混乱がおき、朱全忠の怒りを買い、柳州司戸に貶され、ついで相州で死を賜った。『旧五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻十九 梁書十九 列伝第九 李思安
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最終更新:2024年05月18日 23:32