丁会 ていかい
?-910
唐末・五代の武将。
朱全忠の部将。字は道隠。寿州寿春県の人。朱全忠とともに
黄巣の乱に参加、朱全忠が宣武軍節度使となると、宣武都押衙となった。光啓四年(888)
張全義が
李罕之に河陽で襲撃されて救援を求めると、
葛従周ら一万人で救援に向かって撃破。大順元年(890)に魏博節度使
羅弘信を内黄で撃破し、兗州の
朱瑾を金郷で破った。昭義軍留後、のちに昭義軍節度使となった。昭宗が弑逆されると、三軍をあげて哭礼を行い、太原の
李克用に降った。李克用は厚遇して邸宅を賜い、位を諸将の上に置いた。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻五十九 唐書三十五 列伝第十一 丁会
『新五代史』巻四十四 雑伝第三十二 丁会
外部リンク
最終更新:2024年05月17日 10:55