杜稜

杜稜 とりょう

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唐末の武将。銭鏐の部将。字は騰雲。新城の人。董昌が杭州八都を組織するとその一人となった。銭鏐に仕えて将となり、周宝が常州に追放されると、成及とともに薛朗を攻撃した。常州制置使となったが、龍紀元年(889)に田頵の来攻を受け、地に穴を掘って杜稜の寝室に奇襲されて拉致されたが、釈放された(『新唐書』ではこの時殺害されたとする)。銭鏐がしばしば淮南に侵入し、杜稜は東安城を築城した。乾寧二年(895)銭鏐は董昌を討伐し、董昌は援軍を淮南に要請し、田頵安仁義は東安を包囲するも、杜稜は防衛に成功した。両浙諸軍都指揮使、行軍司馬に昇進した。安仁義が婺州を攻撃すると救援したが勝てず、潤州刺史となって卒した。『十国春秋』に伝がある。

史料

『十国春秋』巻八十四 呉越八 列伝 杜稜

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最終更新:2024年05月19日 21:47
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