李嗣昭 りししょう
?-922
唐末・五代の武将。字は益光。
李克用の部将にして養子。光化三年(900)山東に出兵して洺州を陥落させた。後唐が成立してからも活躍したが、成徳軍節度使
王鎔が王徳明(張文礼)のクーデターによって殺害されると、王徳明(張文礼)を討伐にあたり、その際の戦闘によって戦傷死した。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻五十二 唐書二十八 列伝第四 李嗣昭
『新五代史』巻三十六 義児伝第二十四 李嗣昭
外部リンク
最終更新:2024年06月26日 21:30