荘恪太子李永 りえい
?-838
中唐の宗室。
文宗の第一皇子。母は
王徳妃。大和四年(830)魯王に封ぜられ、大和六年(833)皇太子に冊立された。開成二年(837)
楊賢妃に不行状を誣告され、
少陽院に幽閉され、翌年薨去した。諡号を荘恪太子という。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 文宗二子 荘恪太子永
『旧唐書』巻一百七十五 列伝第一百二十五 憲宗至昭宗諸子 文宗二子 荘恪太子永
外部リンク
最終更新:2024年07月18日 11:16