李昂
809-840
唐第17代の皇帝(在位826-840)。姓名李昂。諡は元聖昭献孝皇帝。
穆宗の第2子。母は
貞献皇太后蕭氏。はじめ江王に封ぜられたが、兄の
敬宗が在位2年で宦官
劉克明らに殺されると、宦官
王守澄らに擁立された。当時唐は威令すでに衰え、河朔三鎮を中心とする藩鎮体制が確立されており、内には宦官朋党の専横が激化していた。帝は即位以来政治に励み、奢侈を退け宦官勢力を排除しようとしたが、かえって彼らに制され、いわゆる牛李の党争が始まり、藩鎮対策に苦しむ帝をして「河北の賊を除くはやすく、朝中の朋党を去るは難し」と嘆ぜしめ、また「周の赧王、漢の献帝は強諸侯に制せられたが朕は家奴に制せらる」と涙させたという。世にいう「甘露の変」は帝の治世に起こった事件で、これより「国事みな北司に決し、宰相は文書を行なうのみ」となった。敬宗の子陳王
李成美をたてて 太子としたが、
仇士良らはこれを廃し、潁王
李瀍をた てて太弟とし、帝が没すると、李成美を殺して即位させた(
武宗)。陵名は
章陵。
年号
大和 827-835
開成 836-840
后妃
子女
宰相
本紀
『旧唐書』巻十七上 紀第十七上
『旧唐書』巻十七下 紀第十七下
『新唐書』
巻八 本紀第八
参考文献
『アジア歴史事典8』(平凡社,1961年)
外部リンク
最終更新:2025年07月06日 11:31