趙宗儒

趙宗儒 ちょうそうじゅ

746-832
中唐の宰相(在任796-798)。字は秉文。趙驊の子。鄧州穰県(河南省南陽市)の人。進士に及第し、校書郎、陸渾県の主簿を歴任。父趙驊が秘書少監となった同日に右拾遺・翰林学士に任じられた。司勲員外郎、考功事、黜陟使、考功郎中、給事中を歴任。貞元十二年(796)同中書門下平章事(宰相)となったが、貞元十四年(798)罷免されて太子右庶子となって引退した。六年後、徳宗に呼び戻されて吏部侍郎となり、憲宗が即位すると検校礼部尚書、東都留守、さらに検校吏部・荊南節度使、山南西道節度使・河中節度使、御史大夫、吏部尚書を歴任した。穆宗が即位すると検校右僕射、守太常卿となり、文宗が即位し、大和六年(833)、四朝の元老であるため司空を授けられた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百五十一 列伝第七十六 趙宗儒
『旧唐書』巻一百六十七 列伝第一百一十七 趙宗儒

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最終更新:2024年07月26日 00:21
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