趙驊 ちょうか
?-783
盛唐の官人。字の雲卿。鄧州穰(河南南陽)人。開元年間(713-741)進士に第し、雷沢県・河東県の丞に任じられた。陳留采訪使の
郭納の支使となったが、
安禄山の乱で捕らえられたから、晋江県の尉に貶された。後に左補闕、尚書比部員外郎、秘書少監となった。
殷寅・
顔真卿・
柳芳・
陸拠・
李華・
蕭穎士・
邵軫と親しく、当時の人は、「殷・顔・柳・陸・李・蕭・邵・趙」と八人を続けて一組に呼んだ。徳宗の宰相
趙宗儒は子。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年07月25日 23:06