劉仁願 りゅうじんがん
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初唐の武将。660(顕慶5)年、
蘇定方にしたがって百済を征討し、その府城、泗沘城(忠清南道公州郡扶余面)を鎮守した。翌661(竜朔元)年、百済の遺臣福信・道琛に囲まれ苦戦したが、
劉仁軌の応援を得て囲みをとき、663年には劉仁軌とともに日本の百済援軍安倍比羅夫らを白村江(錦江河口)で討ち、これを壊滅して右威衛将軍魯城県公を拝した。667(乾封2)年の
李勣の高句麗征討にさいし、期に遅れたため召還され、翌年姚州に流された。
列伝
参考文献
参考文献 『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2024年08月15日 11:28