王定遠

王定遠 おうていえん

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中唐の宦官。朱泚の乱の際、徳宗とともに奉天に脱出して徳宗を支えた。河東節度監軍となり、貞元十一年(795)節度使の李自良が死ぬと、喪を隠して李説を留後とした。その功績を自ら誇って専横し、河東監軍印をつくり、大将の彭令茵を殺害して馬糞の中に埋めたことにより、李説に告発・上奏され、徳宗は奉天の功によって死を許して免官とした。その詔が到着する前に李説の追放を謀って、任命状の束を偽った書類を諸将に提示したが、発覚して楼の上から身を投げたが死なず、捕らえられて崖州に配流された。

列伝

『新唐書』巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 淮安靖王神通 説
『旧唐書』巻十三 本紀第十三 徳宗下 貞元十一年七月丙寅朔状

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最終更新:2024年09月29日 15:56
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