王薄 おうはく
?-622
隋末の群雄、初唐の官人。隋末の動乱の中、斉郡にて自立したが、
張須陀に敗れた。武徳二年(619)三月、唐に帰順した。斉州都督となる。武徳五年(622)宋州総管の
盛彦師が
王薄を率いて須昌を攻撃し、潭州から兵糧を徴収したが、潭州刺史の
李義満と王薄は不仲であったため兵糧を与えられず、須昌が陥落すると盛彦師は李義満を逮捕して斉州の獄に下した。詔があって李義満は赦されたが、使者が到着する前に怒りの余り獄中で死んでいたため、王薄が潭州を通過すると李義満の甥の李武意が王薄を捕らえて殺害した。
本紀
『新唐書』
巻一 本紀第一 高祖 即位前紀、武徳二年三月甲戌条、武徳五年三月戊戌条
『資治通鑑』
巻第一百九十 唐紀六 高祖中之下 武徳五年三月
外部リンク
最終更新:2025年07月11日 23:26