張須陀 ちょうすだ
565-616
隋の武将。弘農郡閿郷県の人。史万歳の西爨討伐に従い、軍功によって儀同となった。
煬帝が即位すると、漢王楊諒が反乱をおこすと、
楊素に従って平定し、開府となった。大業年間(605-618)斉郡の丞となった。遼東戦役がおこると、百姓が失業し、またこの年飢饉となり、米価が高騰したため、倉を開いて賑給したが、煬帝により不問とされた。
王薄が反乱をおこすとこれを撃破。裴長才・石子河の大軍に包囲されるも撃破し、
盧明月を撃退するなどして隋代の名将とうたわれたが、
翟譲と交戦中に
李密の伏兵に包囲されて戦死した。『隋書』『北史』に伝がある。
列伝
『隋書』巻七十一 列伝第三十六 誠節 張須陀
『北史』巻八十五 列伝第七十三 節義 張須陀
外部リンク
最終更新:2025年07月11日 23:22