李大恩 りたいおん
?-622
初唐の武将。本名は胡大恩。もと
竇建徳の行台尚書であったが、武徳四年(621)大安鎮とともに唐に帰順し、定襄郡王の封ぜられ、姓李氏を賜った。代州総管に任じられる。同年、突厥の頡利可汗が一万騎をひきいて雁門を攻撃してくると、迎撃して撃退した。武徳五年(622)五月、殿中少監の
独孤晟とともに突厥を征討することになったが、独孤晟は約束におくれ、李大恩は進むことができず、新城に駐屯していたところを数万人の突厥・
劉黒闥連合軍に包囲され、李大恩は戦死して兵士の死者数千人を出した。
本紀・列伝
外部リンク
最終更新:2024年10月23日 12:58