李祐(斉王)

斉王李祐 りゆう

621-643
初唐の宗室。太宗の第五皇子。母は陰妃。宜陽郡王、楚王、燕王に封ぜられ、貞観十年(636)斉王に封ぜられ、斉州都督となった。不行実で、叔父の陰弘智に兵士を募って自らの護衛とするよう勧められ、妻の兄の燕弘信・燕弘亮と徒党を組んだ。太宗に譴責されるようになると、権万紀の勧めで自ら謝罪したが、かえって権万紀の保身に利用されて、自身が譴責されるには変わらなかった。権万紀とともに長安への召還が命じられると、貞観十七年(643)権万紀を殺害したためと、討伐軍を組織され、討伐軍到着前に部下に捕らえられ、長安に送致されて死を賜った。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十 列伝第五 太宗諸子 庶人祐
『旧唐書』巻七十六 列伝第二十六 太宗諸子 庶人祐

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最終更新:2025年02月18日 13:22
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