李思文

李思文 りしぶん

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初唐の官人。李勣の次男。徐敬業の叔父。太僕少卿となり、調露初年(679)突厥の阿史徳温傅が叛くと裴行倹の指揮下で討伐に参加した。儀鳳年間(676-679)検校隴右諸牧監使に任じられた。さらに潤州刺史となるも、光宅元年(684)徐敬業の反乱では兄に与せず抵抗し、潤州が陥落して捕らえられ、殺されるところを徐敬業に助けられ、揚楚が平定されると赦免された。武則天より武姓を賜り、春官尚書となった。ある者が徐敬業と謀をしていたと密告したから、徐氏となり、卒した。子の李欽憲がいる。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻九十三 列伝第十八 李勣 敬業 思文

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最終更新:2024年11月19日 09:50
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