武什方 ぶじゅうほう
238(自称)-695
武周の仙人・宰相(在任694)。嵩山の人。本名は韋什方。人を惑わし、自らを呉の赤烏元年(238)生まれと称した。
武則天が信仰して重んじ、姓を武氏と賜った。如意元年(694)七月、突如、正諌大夫・同鳳閣鸞台平章事(宰相)に任じられたが、翌月山に帰ることを願って罷免された。
明堂が焼失すると、それを予言できなかったことを責められ、さらに告発され、道中でそれを聞いて自殺した。
史料
『資治通鑑』巻第二百五 唐紀二十一 則天順聖皇后中之上 如意元年七月条
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最終更新:2024年12月04日 12:39